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【東京ヤクルトスワローズ】ファン必見!球団について徹底解説

 約10万人のファンクラブを抱えている東京ヤクルトのファンの皆さんは本当にヤクルトのことをご存知でしょうか?長い歴史から伝説の一戦と呼ばれるファンなら誰でも知っている試合をご存知でしょうか?

知らないファンもご安心ください!今回は東京ヤクルトの球団の何から何までお話ししていきます。このコンテンツでは東京ヤクルトの球団の紹介をすると同時に以下のような情報が得ることができます。

・東京ヤクルトとはどんな球団なのか
・球団の歴史
・球団の優勝、成功と栄光
・現在のチームの展望について

ヤクルトってどんな球団?

まずはヤクルトがどんな球団なのか、ファンではない人にも知ってもらえるように紹介します。

所属リーグセ・リーグ
本拠地明治神宮球場(東京都)
2軍グランド戸田球場(埼玉県)
キャンプ地宮崎県西都市 沖縄県浦添市
創設した年1950年1月25日
運営している母体株式会社ヤクルト

創設して73年が経つ歴史の長い球団です。そのため歴代のチームや歴史は今でもファンの中で語り継がれています。

球団を経営しているのは「ヤクルト乳酸菌」でお馴染みのヤクルトが経営をしています。主に食品、化粧品を取り扱う会社です。

年表からみる球団の歴史

73年の長い歴史と伝統のある東京ヤクルトのこれまでのあゆみを振り返ります。ヤクルトは球団創設から7回も球団名が変わっています。

国鉄スワローズ

創設してまもない頃は弱小球団でした。首位のチームと10ゲーム差以上をつけられてシーズンが終了することが当たり前のチームでした。国鉄時代のワースト記録は24ゲーム差です。

そんな球団に後に通算400勝を挙げた金田正一が入団します。金田投手が中心となりチームを引っ張っていきます。入団2年目から14年連続で20勝以上を勝ち星を上げる大偉業を達成します。

サンケイスワローズ

1963年にサンケイ新聞とフジテレビに経営権をわたし、球団名が変わります。球団名が変わっても晩年Bクラスの最下位のチームでした。

 14年連続20勝以上を挙げた金田投手が巨人に移籍するなど戦力が大幅に低下します。チームの中からベストナインは誰も選ばず、個人成績もチーム成績も残すことができなかった。

サンケイアトムズ

翌年にはスワローズからアトムズに名前が変更します。またしても最下位が定位置のチームでした。

  • チーム打率 .215
  • 盗塁数 52個

ともに成績ワーストで貧打と機動力不足で全く歯が立ちませんでした。

アトムズ

産経新聞とヤクルト本社の共同経営に伴い、スポンサー名なしで名乗った唯一のシーズンです。この年もBクラス、5位に終わります。

ヤクルトアトムズ

球団名が変わっても最下位にシーズンを終えることがほとんどでした。4年間のうち、一度もAクラスに上がれることはありませんでした。

この4年間で不祥事も相次ぎました。選手の間で無免許運転で無期限停止や八百長が行われ逮捕されたりと野球以外の方でも問題が起こりました。

ヤクルトスワローズ

球団名変更の背景は、作成したグッズが”鉄腕アトム”の著作権を侵害していると抗議され問題になったからです。しかし、ここからスワローズの快進撃が始まります。

1年目13年ぶりのAクラスでシーズンを終える。
2年目主力選手が戦線離脱と不調に陥り、Bクラスへ転落する。
3年目またしてもBクラスでシーズンを終える。それを機に監督が変わる。
4年目2位でシーズンを終える。
5年目セ・リーグ初優勝と日本一を輝く。

ヤクルトスワローズ3年目のシーズンが終わった時に監督が変わり、雰囲気が一変し選手たちの野球に対する姿勢が変わっていったことで弱小球団だったヤクルトが横綱・巨人にも臆することなく勝つことができた。

 1990年に故人・野村克也さんが監督に就任します。ID野球をスローガンにデータに基づいた野球をヤクルトに浸透させていきます。

野村監督就任後、再びヤクルトの快進撃が始まります。

2年目社会人1年目の古田敦也が首位打者を獲得する。シーズン3位終える。
3年目リーグ優勝を果たすが、日本シリーズで西武ライオンズに3勝4敗で敗れる。
4年目去年日本シリーズで対戦した西武ライオンズとの再戦に勝ち日本一に輝く。
8年目2年ぶり5度目となるリーグ優勝・日本一を輝く。

晩年Bクラスの弱小チームを再建しリーグ優勝、日本一を狙えるチームにまで急発展させたのだった。

9年目で退任し、その後は若松勉が後を引き継ぎます。就任3年目でリーグ優勝・日本一に輝く。

東京ヤクルトスワローズ

球団名が変わった年は古田選手が選手兼監督としてスタートします。その後高田繁、小川淳司へと変わります。

2013年バレンティン選手がプロ野球記録のシーズン本塁打を60本に塗り変えた。
2015年真中満が監督へ就任。14年ぶりのリーグ優勝に導く。
2016年チームはBクラスで終わる。山田哲人選手がトリプルスリーを達成する。
2017年2年連続のBクラスでシーズンを終える。
山田選手が2年連続のトリプルスリーを達成する。
ドラフトでは1位で村上宗隆選手を獲得する。
2018年小川淳司が2度目の指揮を執る。
青木宣親選手が日本プロ野球界に復帰した。
2019年チームは最下位に終わる。
村上選手が高卒2年目で全試合出場、36本塁打を放ち新人王を獲得する。
2020年高津臣吾が就任する。リーグ最下位でシーズンを終える。
2021年2年連続最下位からリーグ優勝と20年ぶりの日本一に輝く。
シーズン後半には9連勝、13戦負け無しの球団初の偉業を成し遂げる。
セ・リーグ最年少でMVPに村上選手が受賞しました。
2022年12球団1位の得点力のあるチームへと成長を遂げる。
セパ交流戦では歴代最高勝率、セ・リーグ初の交流戦優勝を飾る。
史上最速のマジック点灯し2年連続のリーグ優勝を飾る。
村上選手が日本人ホームラン数を56本に塗りかえる。
令和初・史上最年少の三冠王を達成する

ここ10年のヤクルトの戦績を振り返るとファンの方は「あ〜、そんなこともあったな」と懐かしい気持ちになると思います。2016、2017年に山田選手が達成したトリプルスリーとは次のものが同時に達成したことを言います。

  • 打率  3割
  • 盗塁数 30個
  • 本塁打 30本

村上選手が昨シーズン達成した三冠王とは次の3つのタイトルを同時に獲得した選手に与えられる賞です。

  • 打率 (首位打者)
  • 本塁打 (ホームラン王)
  • 打点 (打点王)

ファンなら知らないと恥ずかしいできごと

 ここからはわたしからヤクルトファンならこのこの歴史だけは知っておいて欲しい!という出来事を厳選しご紹介します。もはやこれを知らずファンは語れないと思った方がいいです!

球団までも再生させた名将

1990年に就任した野村克也さん。野村さんの功績の前にどんな野球選手だったのかをご紹介します。生まれから現役の大きな実績は以下の通り。

  • 野村克也(のむらかつや)
  • 京都府京丹後市出身
  • 父を戦病で亡くす
  • 母は大病を患い極貧生活を送る
  • 学生の頃からアルバイトをして母を支えて暮らす
  • 新聞の南海ホークスの入団テストに応募しプロ入りを果たす
  • 入団1年目でクビになるがお願いをしてなんとか続けることに
  • 未だ2人しか達成していない3000試合出場を達成
  • 王貞治につぐ現役通算2位の本塁打記録を持っている
  • 引退後は9年間野球解説者として働きその後、監督に就任

1年目には戦力外通告を受けるなど厳しい環境のなか這い上がり、3000試合に出場し、王貞治に次ぐ通算本塁打2位の実績を持っている苦労人です。

そんな苦労もあってか、現役の頃から他のチームでは相手にしてもらえないような2流、3流のピッチャーのリードに長けていました。自分の創意工夫で力を引き出すことが得意だったのだ。

 そんな経歴を持った野村さんがヤクルトに就任した時球団の役員陣は反対しました。

  • あんな暗い男はイメージに合わない
  • 実績もない
  • パ・リーグ育ち

そんな理由から反対されていましたが、解説者時代に声をかけてくれたのは当時の球団オーナーです。野村さんを全力でフォローする。もし、結果を出せなくてダメでクビになる時は自分も退くと覚悟を決めて野村さんを監督に指名していたのです。

監督に就任から「野村時間」を設けてヤクルトの選手たちに人間教育からID野球の基礎となるデータに基づいた野球を展開していき、選手からの信頼を集めます。

当時のヤクルトは戦力が豊富で資金に恵まれていたわけではなかった。チームの一体感を生んだことで次第に目に見えた成果が残るようになる。

野村さんの目指したチームは「優勝するにふさわしいチーム」だ。そんなチームとは具体的にはこんなチームのことを指している。

個々の戦力がそれほどなく、確固たるビジョンを持ち自分の役割を正しく理解してチームが同じ方向を向いて一丸となるチーム

野球は団体のスポーツということを選手たちに説いて、個ではなく団体となって当時、盤石の力を誇っていた巨人や西武にも勝つことができたのだ。

世界の王を超えた2人のバッター

 ヤクルトの選手から世界の王こと、王貞治のホームラン記録を塗りかえました。1人目はバレンティン選手。2人目は村上宗孝選手。バレンティン選手の記録は未だ破られていません。村上選手は王貞治さんが立てた日本人記録を塗り替えました。

ウラディミール・バレンティン

バレンティン選手のプロフィールは以下の通り。

  • オランダ出身
  • 2011年にヤクルトに移籍
  • 移籍3年目で60本塁打を達成
  • 移籍して4年連続30本塁打以上を放った
  • プロ野球11年で通算301本塁打

助っ人外国人としてヤクルトに加入したバレンティン選手は、移籍してまもない頃からホームランを量産します。移籍して3年目の2013年シーズン。それまで王貞治が立てたシーズン最多本塁打の55本を60本に塗り替えました。

9年間ヤクルトでプレーしその後、2年間ホークスでプレー。2023年3月に行われたWBCを最後に現役を引退しました。

村上宗隆

村上選手のプロフィールは以下の通り。

  • 2000年2月2日生まれ(23歳)
  • 188センチ・97キロ
  • 九州学院出身
  • 2017年ドラフト1位
  • 2022年シーズンプロ5年目で56本塁打を放った

22年シーズンは王貞治の日本人選手記録の55本を56本塁打に塗り替えた。ホームラン数で目立ってはいませんが、他にも数々の偉業を打ちたたています。

  • 史上初5打席連続本塁打
  • 令和初3冠王

インスグラムのフォロワー数は95万人、Xは25万人と100万人ごえのインフルエンサーでもある。

22年ヤクルト一筋の小さな巨人

 ヤクルトには入団して22年途切れることなく勝利を収めてきた小さな巨人がいます。43歳になった今シーズンもマウンドに上がり勝利を収めたヤクルトの小さな巨人こと、石川雅規。石川投手がプロになるまでの簡単な経歴は以下の通り。

  • 石川雅規(いしかわまさのり)
  • 1980年1月22日生まれ(43歳)
  • 秋田商業-青山学院大学出身
  • 高校時代では甲子園に出場
  • 大学時代には選手権で3試合連続完投し優勝をおさめる

石川投手を一言で表すと多彩な球種でバッターの的を絞らせないバッターを思うままに操ることができる投手です。石川投手が持っている球種は以下の7種類です。

  • ストレート
  • スライダー
  • シンカー
  • カットボール
  • シュート
  • カーブ
  • チェンジアップ

ストレートは最速140キロとプロ野球では遅い部類に入りますが、抜群のコントロールでバッターから空振りを取り、打ち取る。

野球エリートの道を歩んできた石川投手は2002年にプロデビューを果たします。石川投手のこれまでの輝かしい成績を簡単にご紹介します。

1年目・12勝を上げ新人王に輝く。
球団史上初となる入団5年連続の2桁勝利をマーク
選手会長を務めたシーズンは11連勝、自己最多の13勝をマーク
2011年・128人目、球団では5人目となる通算100勝を達成
2012年・通算1000奪三振を達成
2016年・48人目、球団では3人目となる通算150勝を達成

今シーズンで通算185勝を挙げた石川投手。あと15勝で通算200勝の偉業を達成します。200勝を達成することができれば、25人目、球団で初めて200勝を達成した投手となります。本人は「1年でも長くやりたい」と200勝への想いは強い。

新時代の幕開け〜球団の成功と栄光〜

ヤクルトの球団としての成功と栄光について振り返ります。70年以上続く球団の歴史は長く、しかし順風満帆の歴史を歩んできたわけではありませんでした。

球団初優勝までの長い道のり。そこからリーグ優勝、日本一と遠ざかりBクラスに落ちても、這い上がってきたスワローズの歴史をご覧ください。

創立29年悲願の日本一達成!

冒頭の球団の歴史とこれまでの歩みでも少し触れましたが、ヤクルトスワローズに名前が変わり3年目で監督が変わります。当時のヤクルトはBクラスが当たり前。
誰もAクラス、巨人に勝てるなんて思ってもいない。そんな、初めから諦めた気持ちがぬるい雰囲気を作り上げてしまっていた。

選手たちも野球選手としての振る舞いにも欠けていた。そんな球団だった。監督が変わり、そんなゆるい雰囲気を一変させようとまず手をつけたのは、選手の生活習慣だった。以下のようなものは禁止させ、まずは一、社会人としてどうあるべきかを説いた。

・麻雀
・花札
・飲酒
・ユニホーム姿での喫煙
・練習中の私語

 野球選手は魅せる仕事であり、常に周りから見られる職業だ。そんな職業についている選手がユニホームを着てみっともない振る舞いを無くした。

その効果は絶大で就任2年目ではAクラス、球団初となる2位でシーズンを終えた。オフシーズンには、アメリカ・アリゾナ州で初の海外キャンプを行った。

そんな選手たちの生活から野球へ取り組む姿勢を変え、アメリカの野球に触れてより野球に真摯に向き合うようになった選手たちは力をつけていき決して盤石な戦力とは言えないチームが悲願の日本一を達成したのだ。

球団丸ごと再生し常勝軍団へ!

ヤクルトの歴史を語る上で外せないのは、やはり故人・野村克也ことノムさんだ。プロ野球選手→野球評論家・解説者→監督とキャリアを歩んできた野村さん。

 なぜ9年間ヤクルトの指揮を執り、リーグ優勝4回、日本一3回の素晴らしい成績を残してきたのか?

 野村さんがロールモデルにしたのは、野村さんが現役の頃、圧倒的な強さで日本一9連覇した巨人の監督・川上哲治さんです。

9連覇だけ聞くと打線は1番から9番までホームランバッターなのかと思われるがそうではない。打率3割を残したのは、長嶋茂雄だけ。打率はリーグ最下位もあった。その強さの秘密は「フォア・ザ・チーム」にあった。野村さんが川上さんから取り入れたのことは3つ。

  • 選手が自分の役割を理解してチームのためにプレーすること
  • チームの鑑となる選手が1人でもいること
  • ミーティングは野球だけではなく、人間教育を行うこと

 当時の巨人は盤石な戦力がなくても、自分の役割をしっかり理解してプレーして勝利のための一体となって試合を展開していた。巨人では王貞治と長嶋茂雄がチームの鑑になった。また、川上監督は野球の技術は全く教えず、ミーティングでは人間教育から社会のことを説いていたという。

就任当初のキャンプから「野村時間」を設けてデータに基づいた野球の話を展開し、選手たちとの信頼性を築いていきます。それから人間教育、野球選手の前に社会人としてどう振る舞うべきのかを説いていきます。

チームの鑑となる選手は就任1年目から社会人出身の古田敦也を抜擢します。ベンチでは常に監督の隣に座り、ノムライズムを叩き込みます。

「野村再生工場」の異名をもつ野村さんは他チームで戦力外になった選手らを復活させるのが得意で他のチームではよそ者扱いされる選手の起用に長けていました。さらに、同じ都内には巨人という圧倒的人気を誇る球団に燃えていた選手たちのモチベーションはより一層高まっていきます。

決して盤石ではない戦力で野村さんの展開する野球と弱小球団のヤクルトがうまくかみ合い就任9年間で4回のリーグ優勝、3回の日本一に輝いた。野村さんが球団を退いた後もその強さは残っており、退任して3年目で日本一になりました。

最下位から日本一へ!史上最速リーグ優勝

そんな常勝軍団を築き上げたが衰退はあっという間。それから20年が経ち、一度も日本一ができていなかったヤクルト。2020年は2年連続の最下位で得点力がワーストの球団。

そんな球団にヤクルトで投げてプレーしていた高津臣吾が監督に就任します。

 キャンプから猛烈に選手たちを追い込み再び雑草魂に火がつきます。昨シーズン得点力に乏しかったチームは一気に蘇ります。シーズンを通して盤石な力で次々と試合を圧倒していきます。

シーズン後半では、球団初の偉業となる、9連勝、13戦負けなしの圧倒的な強さでリーグ制覇を成し遂げます。後半になっても力が衰えることなく、日本シリーズでも力を見せつけ見事20年ぶりの日本一になった。

日本一を成し遂げた次のシーズンは気が抜けてしまい、Bクラスに転落することはよくあることです。しかし、そんな隙は見せることなくシーズン前半から勝ち続けます。セ・パ交流戦では歴代最高勝率を記録し、完全優勝を飾ります。その後も史上最速でマジック点灯します。その勢いで2年連続のリーグ優勝を達成しました。

 強さの秘訣は、村上選手を中心に若手の活躍と青木選手、石川投手のベテラン層がマッチしており球団が一丸となってプレーしていることでしょう。かつて、野村さんが監督を務めた時もそんなチームで優勝を飾っている。ヤクルトの戦い方は、個ではなく、球団一丸となって全員野球することなのかもしれない。

球団カルチャーとファン愛

球団は野球だけではなく、子どもたちの憧れでもある選手たちとの交流や協力も大事にしています。シーズンオフになると地元の地域に選手が出向いたりすることがあります。ここではヤクルト独自の文化やファンとの交流について話します。

新潟県燕市活性化プログラム

【東京ヤクルトスワローズ】ファン必見!球団について徹底解説
新潟活性化プログラム

新潟県燕市では「つばめ」つながりでヤクルトと交流・連携をとっています。球団マスコット「つば九郎」が燕市PR隊鳥に就任して、燕市を盛り上げています。イベントは野球のみならず、地域活性化のための活動も行っている。

  • 田植え
  • 稲刈り
  • 野球教室
  • ダンス教室
  • トークショー

年に一度燕DAYを開催しており、市内の小学生が神宮球場で「ツバメダンス」を披露したり、燕市で採れたお米や特産品の販売を行っています。詳しくは燕市公式HPをご覧ください。

ユニークなマスコットつば九郎

ヤクルトを語る上で外せないのが球団マスコットのつば九郎だ。ファンの方はお馴染みの問題児でどこに行ってもお騒がせのマスコットだ。つば九郎のとる行動位一つひとつが観客の目を止めます。マスコット業界を見渡してもこれほどユニークなマスコットはいないでしょう。

選手以上に試合の出場回数が多く、球団の大御所でもあるのだ。名前の由来はつばめの古称が「つばくろ」だったこと。意味は「顎迫り合いに強く、苦労(九郎)しながら接戦をものにする」という意味が込められている。

幻の応援スタイル

ヤクルトの応援といえば?と頭の中で連想されるのは間違いなく「傘」です。

東京音頭のリズムに乗って傘を上下する応援です。雨も降っていないのに傘を差すんだと不思議に思いませんでしたか?

傘を使った応援を編み出したのヤクルトの元応援団長が編み出した。背景など詳細は以下の通り。

  • なぜ傘なのか?→ファンが多くいるように見せるため
  • なぜ東京音頭なのか?→江戸っ子はみんな知っているうただから
  • 傘にしたワケは?→傘は誰でも持っているから
  • 緑(青)かつビニール傘なワケは?
    1・黒は黒星(負け)2・透明でないと野球が見にくい3・チームのイメージカラーだから

こういった背景からヤクルトの応援に傘を取り入れるようになりました。傘のサイズは小さいサイズから普段使いできる大きな傘まであります。ぜひ神宮球場に足を運んだ際は傘を買って試合を楽しみましょう。

現在のチームと今後の展望

最後にヤクルトのこれからについて話します。現在のチーム状況を把握した上で、今後の動向から誰が未来のヤクルトを背負っていくのかを根拠をもとに解説していきます。

現在のチーム状況

2023年シーズンの成績は以下の通り。

順位5位
勝率.407(最下位と.001差)
チーム打率.239(5位)
防御率3.66(最下位)
得点534(1位)
失点567(1位)

ここからわかることは

・前年に引き続き得点力のあるチームになっている
・チーム打率は乏しく、得点の割に打率が低い
・得点力はあるが、投手力に欠けている

リーグ戦は勝ち越しているのは最下位の中日のみ。課題は投手力です。優勝したシーズンは投手陣が相手打線を最小失点で抑えていたことが勝ち星をたくさんあげたことが大きな要因です。

主力選手の紹介

投手

  • 小川泰弘
  • 高橋奎二
  • 田口麗斗

23年シーズンで小川投手以外が負け越している。先発を任されている投手が5回〜7回まで試合を作れないとどれだけ中継ぎが充実していても厳しい。ゲームを作れる先発投手、勝か頭となるピッチャー、チームの柱となるピッチャーが3人いたら間違いなく、ヤクルトはペナントレースで無双します。

野手

  • 村上宗隆
  • 塩見泰隆
  • 中村悠平

打線の中心は村上選手です。村上選手はヤクルト、これからの日本の4番を任されるバッターです。得点力のあるチームに欠かせないのが、リードオフマン。22年シーズン圧倒的な強さの源は先頭バッターが塁に出たこと。村上選手の前にランナーを置いて村上選手が返す。これが理想の得点パターン。そして、扇の要でも中村選手が巧みに投手陣の良さを引き出すリードができればセ・リーグの全チームに勝ち越すことができる。

最後にヤクルトの今後の展望についてお話します。2023年ドラフト会議と24年シーズンの予想の2つについて予想していきます。

ドラフトから考える育成計画

断言します!ドラフト1位は投手を指名します!それはなぜか?今シーズンに限らず長年ヤクルトは投手力が乏しいのが現状です。そして過去3年間で1位指名した選手は以下の選手だ。

  • 22年ドラフト 吉村 貢司郎 東芝
  • 21年ドラフト 山下 輝   法政大学
  • 20年ドラフト 木澤 尚文  慶應高校

いずれも投手を指名しています。考えられることは以下の通り。

・小川投手、石川投手と勝ち頭はベテラン層
・即戦力で起用してチームの勝ちに貢献してもらう
・村上選手が4番に座り、打撃に替えは必要ない

今シーズン勝ち頭だった小川投手も33歳。ずっと同じパフォーマンスができるとは限りません。必ず衰えはきてしまいます。小川投手や精神的支柱である石川投手がチームを抜けてしまうとヤクルトの投手陣は崩壊寸前です。高橋投手をはじめとした若手層が活躍しヤクルトは投手陣の入れ替えを行っている。

 たとえ即戦力でなくても、2軍で着実に力をつけていき、3〜5年後にローテーションに入りエース格に育ってくれればヤクルトの選手育成戦略は成功でしょう。

 さらに、2017年のドラフトで村上選手を獲得してから打線は村上選手を中心になっています。今シーズンは打率は低かったが、得点力は昨年同様、健在しています。わざわざリスクを侵して野手を若手に入れ替えることはまずないでしょう。

こういった過去の実績やヤクルトの長年課題としているものに着目すると否が応でも即戦力のピッチャーが必要なのです。

24年シーズンの展望

23年シーズンは3年連続優勝がかかっていたが5位で終わった。得点力、投手力ともワーストの成績に終わっている。本当に2年前に史上最速でマジックを点灯させ優勝させたチームなのか?と疑うような戦績だった。村上選手はエラーが多く阪神ファンに罵声を浴びせられた。汚名返上したいところだ。

キャンプでの選手たちの熱量や練習量でどのくらい24年シーズンに懸ける想いがわかってくるでしょう。得点力が1位、令和の三冠王など過去の栄光をいつまでも引きずっているようでは優勝の兆しは見えないでしょう。

まとめ

今回はヤクルトファンに向けた球団紹介のコンテンツでした。この記事をきっかけにヤクルトの歴史や今チームはどんな状況なのかを知ってもらえたと思います。今回のまとめをすると、

・ヤクルトは70年以上の歴史を持つ伝統のある球団
・ファンの歴史に覚えて欲しいのは、
1・名将・野村克也さんの存在
2・王貞治のホームラン記録を超えたバレンティン選手と村上選手
3・現役22年間勝ち星を上げる小さな巨人・石川投手
ファンとの繋がりも長く、
・燕市と協力、連携・ユニークなつば九郎の存在・ファンが編み出した傘応援
・現在のチームは投手力に乏しい
・2023年ドラフトで1位指名は投手が予想される

これから先80年、90年と続く球団の歴史の中で必ず日本初の偉業を成し遂げることがあるチームです。そのくらいポテンシャルが高いチームです。

中盤でもお話ししましたが、ヤクルトの真骨頂は選手が自分の役割を理解して、チーム一丸となって戦うチームです。秋・春のキャンプで追い込み、24年シーズンは優勝するにふさわしい球団になっていることをファンは願うばかりです。

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