野球選手は「甲子園」という誰もが夢見る目標を掲げて誰もが練習に励んでいました。しかし、社会に出ていざあの頃のように目標に向かってがむしゃらに頑張れるかというとそうではないんですよね。
野球を終えて燃え尽きてしまう人も少なくありません。
プロ野球選手だけにセカンドキャリアのスポットが当たっていますが、実は高校球児、大学球児たちも同じ野球選手のセカンドキャリアです。せっかく青春の大半を野球に捧げてきたなら社会に出て還元を得たいですよね。
そこで今回は、高校では名門校で甲子園でプレーし、大学でも野球を続け今ではフリーランスとして活動している野球選手に取材しました。社会に出て野球人がどうやったら活躍できるのか大変参考になる話です!
【野球選手のセカンドキャリア】理想と現実
誰しもが親や先生から高校野球を3年間プレーしたってことに社会に出た時に大きな武器になると洗脳されたことがあるのではないでしょうか?
理想は、野球をやってきた時のように仕事に情熱を注いで高校野球をやってたあの頃のようにギラギラして結果を出す。そんな華やかな世界を一度は想像したはずです。高校でも野球に打ち込んで誰もが憧れる甲子園の舞台でプレーするように。
では、実際どうなのか。今回は和歌山の名門・智弁和歌山出身のYさんにお聞きしました。
野球をやってました!しかも誰もが知っているような名門校でプレーしていたことで一目置かれます。
ただ一目置かれるからといって実は何もないですよ。
「おお!あの智弁で野球やってたの!?すごいね!」の一言で終わる。
そこから、結果や数字を残すと評価されてます。野球で成功体験を掴み「もっと上手くなりたい!」って思うように成長意欲も湧いてもっと上のステージで自分を高めることができる。実際、理想であり単純なんよ。
ただ、結果を出せなかったりする場合は評価は下がんねん。
野球部って他の部活より練習時間長くて、ずっと100%でやっていたら怪我するからサボり上手やねん。
だから、逃げ癖がついてグダグダになっていくこともなくもないよね。
ど田舎の無名だった選手が大好きな野球に携わりながら仕事をしている理学療法士のキャリアについて興味のある方は無名選手の役立つキャリアの話Vol.3をご覧ください。
プロフィール
遅くなりましたが、今回、私の取材にご協力して頂いたYさんの野球経歴をさらっとご紹介します。
- 大阪府出身
- 5歳(年中)から軟式野球を始める
- 9歳で硬式のボーイズリーグでプレーする
- 中学は元プロ野球選手・赤星さんが運営する無所属のチームでプレーする
- 高校は和歌山の名門・智弁和歌山高校に進学
- 大学は千葉県の敬愛大学に進学
- 大学卒業と同時に野球も引退
ポジションはピッチャーでしたが、怪我でマウンドに立つことができなくなりプロの道を断念しました。
ただ、これまでずっとプロ野球への想いもあり、独立リーグで夢を追い続けることもできましたが、知人に話を聞いて野球ではなく、これから社会に出て違う形で活躍していくことを心に誓い、ビジネスの世界で踏み出しました。
元球児のその後のキャリア形成について知りたい方は名もなき野球選手の役立つキャリアの話Vol.1も合わせてご覧ください。
学生野球生活を引退して変わったこと
次は野球を引退してから1日の大半を野球に注いできた生活から一転した後の生活の変化についてお聞きしてみました。
ーー野球を引退してから何かご自身の生活や体型など変わったことはありますか?
平日は放課後5時から夜9時ごろまで、土日は朝から晩まで野球に打ち込んでいた時間がそのまま空いた感じやったな。だから、自由というか開放的だったな。
こんなに時間ってあるんやって思ったし、なんか不思議な感覚だったな。
いつもワクワクしてたし、これだけ時間があるなら「なんでもできる!」って希望に溢れていたね。
社会で野球部優遇はある?
Yさんが進学した智弁和歌山は和歌山のみならず全国制覇をしたことのある超名門校です。
そんな強豪校で、かつ、聖地・甲子園でプレーした経験のあることに対して社会はどんな評価をしているのか気になりますよね。Yさんに実際の印象をお聴きしました。
うーん、それは上司や業界によるかなと思いますね。上司が元スポーツマンだったり、体育科系の職場ならやっぱり一目置かれるし、多少なりの優遇はありますよね。
でも、ITだったりはスポーツとは全く縁のない人も少なくないからそんな環境では優遇はないよね。
つまり、野球部だからの優遇はあんまり考えない方がいいということです。
結果を出せば「あっ、やっぱりY君は智弁和歌山という名門校で甲子園行っただけの人間だね!」と評価してもらえます。一方で結果も出さない、過去の栄光にすがっていると「大したことないな」と一言で片づけられるということです。
少しドライに感じたかもしれないですが、そもそも野球をやってからで優遇される方がおかしい気がしますよね。一、社会人として評価してもらえることの方が大事だと話を聞いて感じました。
野球経験が社会に出て活かされた瞬間は?
ーー智弁和歌山でプレーして過酷な練習にも耐えてきたと思います。また怪我で投手ができなくなってしまい、プロへの道を断念したと思います。
野球を引退し、社会に出てビジネスにおいてどのような場面で生かされましたか?
野球やってよかったなって思う瞬間は2つあんねんな。
一つは友達が多いこと。もう一つは体力が底なしに体力があることやな。
友達や仲間が多いことは何か自分がやろうとした時に協力してくれる人がいるし、同じ熱量を持って頑張れるからいい刺激をしあえると思ってる。何もやってきていない人の倍は友達はいると思うし、どの県に行っても友達がいるのは本当に人間関係に恵まれているなと感じるし、それは野球を最後まで続けてきたからもあると思う。
もう一つは体力があること。
野球をやっていると聞くと世間の人は「根性がある」と勘違いしてんねんな。
どんな強豪校にいても根性ないやつはないんよ。簡単に言うと気持ちが弱い選手やな。
でも共通して言えるのは全員体力はあるねんな。
だから一つのことに没頭して打ち込む体力がある。
一般の人が8時間仕事をするところを16時間だってできたりするんよ。
その分、他の人よりトライアンドエラーの回数が増えるし、体験や経験もグングン伸びていく。
そんな時に、学生の頃、真夏の40℃近くの中グランドでプレーしていた体力が生かされてたと思うわ。
野球を引退し、社会人になる選手へメッセージ
ーー最後に今、甲子園を目指している球児や引退して大学進学や就職する新社会人になる野球選手やスポーツマンに向けてコメントやアドバイスをするならどんな言葉を送りますか?
そうだね。一言で言うと”良い環境に染まろう”だね。
その良い環境とは良い洗脳を受けることができる場所やねん。
これまで義務教育で前ならえの教育で日本の教育のおかしいところもたくさんあるのに、何一つ不思議に思わず従ってきたこともある種の洗脳をされてきたと思うねんな。
学生の頃だと、良い洗脳は
「練習頑張って当たり前」
「試合に勝って当たり前、甲子園に行って当たり前」
「勉強でいい点取るのが当たり前」
みたいな感じで当たり前のレベルが高い環境のことを指すねんな。
収入でもライフスタイル、なんでもいいんやけど理想を掲げてそのために全力で頑張る奴らが集まっている環境に飛び込んで欲しい。
高校の時は甲子園のためなら、坊主にして、監督に暴力や暴言吐かれても全ては「甲子園のために」の強い想いであれだけ頑張れるやんか。
野球選手に限らず、スポーツマンは環境に染まったらめちゃくちゃ強いよ。
誰しもが得意な分野、不得意な分野があるから、自分自身の強みを伸ばせる場所に身をおいて頑張れば、これまでの野球での経験は活かされます。
まとめ
今回は特集で【特集】無名だった野球選手の役立つキャリアの話ということで名門校で甲子園に出場した選手のその後の生活やキャリアについて紹介しました。
今回のインタビューの内容をまとめると
- 社会に出て結果を出せば、成長意欲が出てさらに上を目指そうとする
- 結果が出ないとサボり癖や逃げることばかり考えるようになる
- 野球をやった時間がそのまま自由時間になりなんでもできる。時間がないのは嘘
- 野球をやった人は根性があるわけではないが、基礎体力が他の人よりある
- いい洗脳が受けられる場所で自分の理想のために頑張れる環境に身を置いて自己実現すべし
今回の取材をしたYさんのように甲子園に行った人でもプロに行けずにどこかでプロへの道を諦め、仕事をする人が9割以上かと思います。プロになれなかったことを恥じることなんて一切ありません。
プロ野球選手の寿命も長くて40歳です。それから20年ほどキャリアは続きます。
今回のYさんのように過去の栄光にすがることなく、自らを頑張る環境に身を置き、自律して自己実現に励んでいくことが野球選手やスポーツマンがキャリアにおいて成功していく鍵かもしれないです!
元スポーツマンの何かきっかけになれば幸いです。