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【東京読売ジャイアンツ】ハンパじゃない栄冠と歴史について徹底解説

「球界の盟主」と呼ばれている読売ジャイアンツ。通称・巨人は過去、長嶋茂雄や王貞治がいた時代は、V9(9年連続優勝)を達成するなど、伝統ある常勝球団です。

野球愛溢れる情熱、80年以上語り継がれる伝説、ファンとの絆、そして栄冠への歩み。読売ジャイアンツの魅力を探り、半端じゃない成功がもたらす魅力に迫り、巨人について詳しく知りましょう。

このコンテンツではジャイアンツの球団紹介すると同時に以下のような情報が得ることができます。

・読売ジャイアンツとはどんな球団なのか
・球団の歴史
・球団の優勝、成功と栄光
・現在のチームの展望について

ジャイアンツってどんな球団?

まずはジャイアンツがどんな球団なのかについて、ファンでもない人でもわかるように紹介していきます。

所属リーグセ・リーグ
本拠地東京ドーム
2軍グランド読売ジャイアンツ球場(神奈川県川崎市)
キャンプ地宮崎県宮崎市
沖縄県那覇市
設立した年1934年12月26日
運営している会社読売新聞社

年表からみる球団の歴史

日本プロ野球で最も長い歴史を誇る読売ジャイアンツのこれまでのあゆみを振り返ります。

記録にも記憶にも残る素晴らしい功績を称えていきます。どの球団よりも歴史が長く全てのシーズン、出来事はご紹介できませんが、優勝したシーズンや功績を残した選手をメインで取り上げていきます。

球団創立当初 1931年〜1934年

球団創立当初は、大日本東京野球倶楽部という現在の巨人の前身の球団で活動をしていました。この倶楽部こそが現在のジャイアンツの歴史のはじまりです。

余談ですが、プロ野球選手第一号は水原脩さんです。「野球は筋書きのないドラマである」という名言を残した方でもあります。

 1934年12月26日に巨人軍が創立しました。

1935年〜1945年

1935年に静岡でキャンプを行ったのちにアメリカ遠征へいきます。ジャイアンツは全米各地で108試合を戦いました。翌年もアメリカ遠征を行い、当時最先端のベースボールを日本のどの球団よりも先に体感して経験値を上げていきました。遠征の後の秋のリーグ戦で遠征で身につけた経験を発揮します。

  • 沢村栄治がプロ野球で初のノーヒットノーランを達成
  • 秋のリーグ戦で初優勝を飾る

1937年には当時、ジャイアンツの本拠地である後楽園球場が開場します。昨年の秋のリーグ戦に続き春のリーグ戦でも優勝を飾ります。

1938年にのちにジャイアンツリーグ優勝9連覇へ導いた名将:川上哲治さんが入団します。中島治康がプロ野球史上初の三冠王に輝いた。

1940年に戦争の激化に伴いユニホームのロゴに英語を使用することを禁止されたため、マークを「巨」に改めました。1944年の球団解散になるまでのリーグ戦を全て優勝を収めて6シーズン連続優勝を飾りました。
1943年シーズンが終わると沢村栄治投手は解雇され、徴兵を受けて戦死しました。

1946年〜1949年

終戦後、初のリーグ戦では2位に終わります。球団名を東京読売巨人軍に改称し、ニックネームを読売ジャイアンツにしました。1947年に黒沢俊夫がなくなり、黒澤の背番号4と沢村栄治の背番号14がプロ野球初の永久欠番となります。

 川上哲治を筆頭に巨人を担う選手が集まり黄金時代を築きます。他球団からもレギュラーを張っていた選手が集まり盤石な強さで1949年に戦後初のリーグ優勝を達成しました。

1950年〜1960年

水原茂が監督に就任する。

1951年シーズンで2リーグ分裂後に初の優勝をし、初代セ・リーグ王者に輝きました。
1952年8月8日に球団公式戦通算1000勝目を挙げます。
1953年シーズンはアメリカカルフォルニア州サンタマリアでキャンプを行います。最新の野球を吸収して挑んだシーズンで一度も首位の座を譲ることなく、リーグ3連覇と日本一3連覇を成し遂げました。1955年、1956年とリーグ優勝を果たします。

 1958年長嶋茂雄がプロデビューを果たします。ルーキーながらも打率3割、ホームラン29本、37盗塁とベテラン顔負けの成績を叩き出します。リーグ優勝するも日本シリーズで西鉄ライオンズに敗れました

1959年6月25日に初の天覧試合(天皇陛下が球場に足を運んで観戦する試合)で王と長嶋がそれぞれホームランを放つと、9回裏に長嶋がサヨナラホームランを放ち天皇陛下の心までも魅了しました。リーグ4連覇を成し遂げるも4年連続日本一を逃しました。

60年シーズンから川上哲治が監督に就任し、悲願の日本一奪還に成功しました。

1961年〜1980年

この20年で伝説の功績を残した記録にも記憶にも残る20年です。常勝に常勝を重ねたチームの天晴れな歴史を瞬きせずにご覧ください!


61年シーズンには王が「一本足打法」を体得し2冠王に輝きます。
63年シーズンで再び日本一を奪還しました。

 1965年から1973年に前人未到のリーグ優勝、日本一を9年連続達成しました。「V9」でファンの方からはこの輝かしい歴史について知られています。

1975年から長嶋茂雄が監督に就任するも球団史上初の最下位に転落してしまいます。
76年シーズンでは再びリーグ王者に返り咲きました。
77年に王貞治が通算756本の世界新記録を樹立したしチームは2連覇を成し遂げます。
それから球団初の3年連続で日本一を逃して責任を負い長嶋は監督を辞任します。

1981年〜2000年

長嶋に変わり、藤田元司が就任する。

  • 江川卓
  • 西岡聖
  • 定岡正二
  • 加藤初

上記の先発4本柱を作り投手王国を築く。リーグ優勝、悲願の日本一を達成しました。原辰徳が新人王に輝くが1983年は惜しくも日本一を逃してしまいます。

1984年に王が監督に就任し周囲は期待を寄せていたが、優勝はたったの一度で終わりました。
85年には桑田真澄をドラフト1位指名します。巨人に熱望していた清原和博を獲得しなかったことに激震が走りました。

1989年に再び藤田が監督に就任します。

  • 斎藤雅樹
  • 桑田真澄
  • 槙原寛己

の3本柱を確立しリーグ優勝を成し遂げます。日本シリーズでは3連敗するもそこから4連勝の怒涛の追い上げを見せ大番狂せ劇で日本一を奪還しました。平成最初のリーグ優勝・日本一の球団になりました。

90年シリーズは上記の3人の先発に加え、5人が二桁勝利を挙げ9月8日に球団史上最速のリーグ優勝を飾ります。
しかし、92年シリーズは8年ぶり悲劇の最下位に転落してしまいます。
93年に長嶋茂雄が監督に復帰します。「10・8」と呼ばれる同率チーム同士の最終試合で首位決定戦で見事優勝を飾り、日本一にも輝きました。

95年シーズンに30億円の大型補強を行うも3位に終わります。
96年シーズンは最大11.5ゲーム差あったがひっくり返してリーグ優勝をし大番狂せを見せた。
97年シーズンに33億円の大型補強を行うもB クラスに終わります。個人では桑田真澄がカムバック賞に輝いた。
98年シーズンはチームは3位に終わります。松井秀喜が2位と一本差でホームラン王に輝いた。


2000年シーズンは大型補強を行い、リーグ優勝を飾ります。ストレート勝ちを納め、日本一を達成して20世紀の幕を閉じます

2001年〜2023年

01年シーズンは2位に終わり、長嶋は「終身名誉監督」に就任します。
02年から原辰徳が監督に就任します。松井が50本ホームランを放つなど打線を牽引し優勝へ導きます。日本シリーズは西武ライオンズ相手に初めて4連勝をあげ日本一に輝いた。


04年に堀内監督に変わる。高橋由伸、近鉄のローズ、ダイエーの小久保、清原と各球団4番が1チームに顔をそろえ「史上最強打線」と呼ばれた。ホームラン数は日本記録の259本を放つも、盗塁数は25と機動力に欠けた。

06年から再び原が監督に就任する。スモール・ベースボールを掲げ前半戦首位を走るも球団ワーストの79敗に終わる。
2007年5月2日に球団5000勝目を挙げる。リーグ優勝を果たすも史上初の「リーグ優勝して日本シリーズに行けなかったチーム」になりました。
08年シーズンもリーグ優勝を果たすも日本一を逃します。
09年シーズンで3年連続のリーグ優勝を果たします。7年ぶり21回目の日本一を達成します。
12年シーズンでセ・リーグ初の交流戦優勝を飾ります。その勢いのまま34度目のリーグ優勝、22回目の日本一を成し遂げます。
個人成績もダイヤモンドのように輝いた。

  • 阿部慎之助・首位打者、打点王
  • 坂本勇人・最多安打
  • 内海哲也・最多勝
  • 杉内俊哉・最多奪三振、最高勝率

13年シーズンは35度目のリーグ優勝を果たす。松井秀喜が国民栄誉賞を受賞した。
14年シーズンで36度目のリーグ優勝を果たす。
15年シーズンは所属選手の野球賭博が告発され、ファンからため息がつかれる不祥事が起きました。
16年シーズンから高橋由伸が監督に就任します。チームは2位に終わるも坂本が首位打者、菅野が最優秀防御率、澤村がセーブ王に輝いた。

18年から球団ロゴを中央にG、左上に1934、下部にTOKYOに変えました。
19年に3度目の原辰徳が監督に就任する。37度目のリーグ優勝、令和初のリーグ王者になりました。


2020年に阿部慎之助が史上最年少で2000本安打を達成しました。岡本がホームラン王と打点王に輝く。


23年シーズンはBクラスに終わり、新しく阿部慎之助が監督に就任する。

ここまで駆け足でジャイアンツの歴史を振り返ってきましたが、ダイヤモンドのように輝いた歴史がありましたね!前人未到の9連覇や37回のリーグ優勝など。

これほど優勝を当たり前とされている球団は他にはありません。ジャイアンツの戦績を振り返るとファンの方は「あ〜、そんなこともあったな」と懐かしい気持ちになったでしょう。最近ファンになった方もこんな歴史と伝統のある球団であったことは初耳だったでしょう!

ファンなら知らないと恥ずかしいできごと

ここからはわたしからジャイアンツファンならこのこの歴史だけは知っておいて欲しい!という出来事を厳選しご紹介します。もはやこれを知らずファンは語れないと思った方がいいです!

巨人は世界の王貞治と長嶋茂雄をはじめ、レジェンド選手が多くのファンに愛されました。その時代の栄光は今もなおファンの心に生き続けています。

異次元のスーパースターコンビ

先ほど少し触れましたが、巨人の歴史の中で最も名を馳せた人物は「ON」こと王貞治と長嶋茂雄です。ふたりの簡単なプロフィールは以下の通り。

  • 王貞治(おうさだはる)
  • 1940年5月20日生まれ
  • 早稲田実業高校出身
  • 「一本足打法」を習得し、世界記録、日本記録を樹立した
  • 通算本塁打は驚異の868本
  • 長嶋茂雄(ながしましげお)
  • 1936年2月20日生まれ
  • 佐倉一高-立教大学
  • 「ミスタープロ野球」の愛称でファンを魅了する華麗なプレーで野球ファンを虜にしてきた

王と長嶋が巨人に在籍していた時に常勝軍団、1964年から1973年に前人未到のリーグ優勝9連覇を成し遂げた。
「3番・サード 長嶋」「4番・ファースト 王」でチームを牽引してきた連覇の立役者です。

 おそらく王貞治さんのホームラン記録や長嶋茂雄さんのサードでの華麗なプレー、天皇陛下が観に来た天覧試合で最終回にサヨナラホームランを放ったなどの記録は誰もがご存知でしょう。そこではなく、この二人がチームにどんな存在だったか誰も知らない裏のふたりの顔を紹介します。

故人・野村克也さん著書「凡人の強み」から野村さんの体験談に基づいて紹介します。

 あるとき、銀座で飲んでいたところ王さんが仲間連れで飲みにきたのでせっかくだから一緒に飲んだ。9時ごろを過ぎた頃に王が「ノムさん、悪いけど失礼します」と2軒目の誘いを断った。これからコーチとの練習があるとのことだった。練習に見学に行ったところ、凄まじい殺気を立たせて一振り一振り素振りを行なっていた。

実際の練習風景はこちら

 一方、長嶋さんはどこか「天才」というイメージが先にたつがその影では何倍もの練習を行っていました。シーズンオフに日米野球が行われ、20試合ほど行われ王と長嶋はフル出場だった。

そんな2人に「オフになっても休めないなんて、大変だね」と声をかけると長嶋さんが
「休もうなんて思っていなかったし、休むわけにもいかないんだよ。ノムさん、お客さんは俺たちを観にきているんだ。だから出場するのは、俺たちの義務なんだ」

そのプロフェッショナルが当時のチームメイトも「王と長嶋があれだけやっているなら自分はもっとやらないといけない」と思わるほどの練習をしていた。

残した数字だけではなく、”チームの鑑”で中心選手として機能していたから9連覇を成し遂げる原動力になっていたのだ。

原辰徳のお墨付き!史上最強のユーティリティー

巨人のユーティリティと言えば誰を想像します?もちろん!木村拓也ですよね!SMNPのキムタクと同姓同名であることも有名です。プロフィールは以下の通り

  • 木村拓也
  • 1972年4月15日-2010年4月7日永眠
  • キャッチャーとして入団するも外野へコンバート
  • その後、俊足とバッティングを活かし、内外野どこでも守れる選手に成長
  • 現役引退後、コーチに就任
  • 4月7日の広島戦のシートノック中に倒れ、病院に運ばれ死去
  • 原因はクモ膜下出血と思われている

今ではホークスの栗原選手をはじめ、複数のポジションを守れたり二刀流が当たり前になっていますが木村さんは日本で初めてユーティリティープレーヤーとしてレギュラーの座を掴みました。プロ入りは広島でしたが怪我で出場が激減し巨人へトレードします。年齢的にもベテランだったがカムバックする活躍でチームに貢献します。どのポジションでも守れれる、かつ、代打もできることから重宝される選手になります。

 そんな木村さんがチームを救った忘れてはいけない名試合があります。スタメンでセカンドを守っていた木村さん。試合は激戦となり延長戦へ突入します。キャッチャーに代打を出すなど総力戦でした。控えに誰もキャッチャーができる選手がいない。。。急遽、木村さんがキャッチャーへ。10年ぶりにマスクを被った木村さんはその回を0で抑えて、チームはサヨナラ勝ちを収めたのでした。

日本球界の走塁のスペシャリスト

終盤、1点を取りたい場面で一塁代走にオレンジ色の手袋をつけてホームへ生還する走塁スペシャリストをご存知でしょうか?その名も鈴木尚広です!プロフィールは以下の通り

  • 鈴木尚広(すずきたかひろ)
  • 1978年4月27日福島県生まれ
  • 相馬高校出身
  • 1996年ドラフト4位

2002年に一軍デビューを果たす。「走塁のスペシャリスト」として一塁代走で出場し、ホームに生還することから代走のスペシャリストとしてもキャリアを築いた選手です!

みなさん、代走といったらどんな選手をイメージしますか?盗塁ができる選手でしょうか?それだけではランナーとして2流です。一流はホームに生還し1点を挙げるまでが走塁のスペシャリストの仕事です!

現役20年で228個の盗塁をマークし、12年連続で2桁盗塁を記録した選手です。228個のうち代走で出場して記録した盗塁数は驚異の132個で日本記録を樹立しています。

巨人軍の優勝と栄光

ジャイアンツの球団としての成功と栄光について振り返ります。80年以上続く球団の歴史は長く、これまで順風満帆の歴史を歩んできたようにも見えます。

常勝に常勝を重ねていつしか勝って当たり前、負けて注目を浴びるような球団になっていきました。そんな常勝をどうやって築き上げたきたのか。気になりますよね?強さは〇〇にありました!

オキテ破りの9連覇に導いた名将

ここでは9年連続の優勝した成績にはいろんなメディアで発信されいるので裏のプロセスについて語ります。

ジャイアンツの歴史の中で最も栄光について語らないといけないのは日本一9連覇を達成した9年間でしょう。

前述した通り、王と長嶋が中心選手となり、練習から気を引き締め必死になって全員がプレーしていたことがチームに全体に良い影響を与えたのはもちろんでしょう。その中心選手を含めて指揮を取っていたのが川上哲治さんです。

川上監督は決して中心選手だろうと特別扱いはしなかったと言います。あるミーティングで長嶋がノートと筆記用具を忘れてきた時に「長嶋くん!いますぐペンとノートを持ってきなさい!」と怒鳴ったこともある。

特別扱いをしないのは当たり前で当たり前にできない。中心選手の機嫌を損ねてチームが悪い方向へ行くこともあるだろう。会社なら稼ぎ頭のワガママ一つや二つは聞いてあげることがあるだろう。

 そんな特別扱いは一切なかったという。川上監督は中心選手でチームの鑑として行動することを要求してきたのだ。そしてプレーはチームの勝利に結びつくプレーすることを求めていたのだ。

ファンの中には「あれだけの選手が揃っているのだから誰が監督をしても9連覇できた」と思っていませんか?その答えはNoです。9年連続は並の監督では到底成し遂げることができないでしょう。

一度優勝したらチームに緩みが出るのは名将と呼ばれた野村克也や2023年のヤクルトなどが実証しています。そのことを照らし合わしても川上さんが成し遂げたことがいかに偉業であるかがよくわかります。

 常に気を引き締め、選手を引き締め「優勝にふさわしいチーム」に仕上げてきた。

なにより中心選手を引き立てる名脇役が当時のジャイアンツには存在していた。文字とおり王と長嶋の脇を固め、自分たちが求められている役割を全うする。

9人全員が4番でエースを張っていた選手の集まりではなく、自分の役割を理解して役に徹した選手が集まり役作りに徹したからこそ盤石の強さを発揮したのです。

球団カルチャーとファンとの絆

球団は野球だけではなく、子どもたちの憧れでもある選手たちとの交流や協力も大事にしています。シーズンオフになると地元の地域に選手が出向いたりすることがあります。ここではジャイアンツ独自の文化やファンとの交流について話します。

選手による支援活動

昨今、メジャーで活躍する大谷翔平選手とスポンサー契約している『ニューバランス』が共同で全国の小学生に大谷モデルの軟式用グローブを贈られたのは有名な話ですよね。しかし、ジャイアンツで活躍している選手たちも社会のために多方面で金額的な支援を行なっています。

・坂本選手は児童養護施設で生活する子どもたちをジャイアンツ主催の試合へ招待するべく「坂本勇人シート」を作り毎年多くの子供たちに野球観戦で夢と感動を与えています。

・丸佳浩選手は「丸メシプロジェクト」を立ち上げ、経済的な事情で十分な食事を摂ることができない子どもたちのために認定NPO法人カタリバに寄付しています。

・岡本和真選手は飼育放棄や虐待を受けて被害に遭った動物たちの支援を行なっています。

・吉川尚輝選手は認定NPO法人フローレンスに支援金を贈呈しています。

・菅野智之選手は日本介助犬協会と全日本軟式野球連盟に支援金を贈呈しています。

他にもランドセル基金など様々な場面でジャイアンツの選手が活躍し、社会に貢献する良い循環をうながしています。

聞いていて楽しいチャンステーマ曲

高校野球のチャンステーマで使われているくらいです!一度聞いたらあなたともいつの間にか口ずさみリズムに乗ってタオルを振っていることでしょう!

みなさん、ジャイアンツのチャンステーマを聞いたことがありますか!?
ジャイアンツのテーマ曲は一度聞いたらやみつきになるくらいになります。

伝統のあるマスコットジャビット

ジャイアンツのマスコット、ジャビットはファンをはじめとする一般公募によって生まれたマスコットです。マスコットでは珍しくジャビットファミリー一家で球場で活動することが多い。

現代にちなんでジャビットのLINEスタンプやSNS総フォロワー13万人越えという人気なマスコットです。ファンと選手、球団をつなぐ架け橋となっている。

現在のチームと今後の展望

最後にジャイアンツのこれからについて話します。現在のチーム状況を把握した上で、今後の動向から誰が未来のジャイアンツを背負っていくのかを根拠をもとに解説していきます。

現在のチーム状況

2023年の成績は以下の通り。

順位4位
勝率.504(4位)
チーム打率.252(1位)
防御率.339(5位)
得点523(3位)
失点54(1位)

・圧倒的投手力に欠けている
・得点に繋がる打撃ができていない

 現在のジャイアンツは、リーグ優勝から遠ざかる苦境にあります。今シーズンはBクラスで終わってしまった。選手の入れ替えや若手選手の台頭も難しい状況です。

主力選手の紹介

投手

  • 戸郷翔征
  • 赤星優志
  • 大勢

今シーズン、先発投手で2桁勝利を挙げたのは戸郷のみ。2位のグリフィンが6勝と厳しい投手状況だったのは間違いない。歴史を振り返っても少なくても先発投手が3人が2桁勝利を挙げ投手王国を築かないと巨人に優勝は厳しい。歴史を振り返ってご存知の通り、打線に4番がズラリと並ぶ見栄を張ったようなチームではなく、堅実な野球をし投手を中心に守り抜く野球をしていくことが優勝への道だろう。

野手

  • 岡本和真
  • 門脇誠
  • 大城卓三

個としては打率の上位に4人ほどランクインしているが、打線は繋いでいかないと勝利に結びつかない。チーム打率もリーグトップだが、得点力に乏しい。巨人が9連覇したチームのように現在の巨人は坂本や4番の岡本を中心に脇役の選手がしっかり脇を固めてそれぞれが役割を果たすことができれば盤石な強さを誇ることができるだろう。

ドラフトから考える育成計画

過去3年で1位指名した選手は以下の通り

  • 平内龍太 投手 大卒
  • 大勢   投手 大卒
  • 浅野将吾 野手 高卒

大勢投手は日本代表にも選ばれており、同年ドラフト4位の赤星投手もローテーション入りを果たしている。浅野選手も高卒ながら1年目から1軍デビューを果たしホームランを放った。
2023年ドラフトで指名された選手は以下の通り

  • 西館勇陽 投手 大卒
  • 森田駿哉 投手 社会人卒
  • 佐々木俊輔 野手 社会人卒
  • 泉口友汰 野手 社会人卒
  • 又木鉄平 投手 社会人卒

阿部新監督に変わり、目指す野球は「守り抜く野球」とテレビで語った。究極、点を取られなければ負けることがないからだ。そんなチームを作るとなると大事になるのが試合の8割ボールを支配しているピッチャーになるわけだ。

 今シーズン2桁を挙げたのは戸郷のみ。続くグリフィンはたったの6勝に終わっている。目指す野球とチーム状況を考えても納得のいくドラフト指名だ。高卒は誰も獲得していないことから、全選手に即戦力を期待しているは間違いない。

2024年シーズンの予想

ジャイアンツは門脇選手が坂本選手のショートを奪い、サードからショートへポジションを移したのを始めに若手選手の活躍が見えてきています。新監督に伴いコーチ陣の顔ぶれもガラリと変わり、24年シーズンで優勝を奪還する布石を打っています。

ジャイアンツの歴史を振り返っても投手王国を気づいていた時に優勝や常勝軍団を築いています。即戦力の投手陣やベテラン陣の活躍が合致した時、優勝の座に座っているのは巨人で間違いないでしょう。阿部監督の采配や今後の動向にも目が離せないです。

まとめ

今回はジャイアンツファンに向けた球団紹介のコンテンツでした。この記事をきっかけにジャイアンツの歴史や今チームがどんな状況なのかを知っていただけたらと思います。今回のまとめをすると

・ジャイアンツはプロ野球で最も歴史と伝統のある球団
・ジャイアンツはリーグ優勝37回、日本一22回を果たした常勝軍団
ファンに覚えて欲しいのは、
1・王と長嶋のスーパースターコンビ
2・プロ野球初のユーティリティープレーヤー木村拓也
3・代走で盗塁記録132個と走塁でキャリアを気づいた鈴木尚広
・巨人9連覇は川上監督の選手に対して特別扱いせず気を引き締めて接したことと名脇役が中心選手を固めていたから。
・選手自ら多方面で支援活動を行っている

来シーズンから阿部監督が采配を執ります。守り勝つ野球を体現できるのか!?来シーズンの巨人の戦いぶりに注目です!

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