今回は沖縄県興南高校野球部の監督、学校校長、理事長を務める我喜屋優さんの「逆境を生き抜く力」を読んだ感想と本の内容をご紹介していきます。
野球をやらない社会人にも大変勉強になる本でした。
なぜ、強豪校と呼ばれるような学校が毎年選手が入れ替わりをしているにも関わらず安定した強さ、結果を残すことができるのか。
興南高校はどのようなことを大事に野球に取り組んでいるのかがわかる一冊です。
感想
この本を読んだ感想は結論、小手先の技術ではなく、圧倒的な人間力が自分の未来を変えていくことです。
今では甲子園常連校となった興南高校ですが、一昔前は弱将校でした。
今ではOBにはプロ野球の世界で活躍し、日の丸を背負ってプレーする選手がいます。
高校球児がユニホームを脱いだ後に社会で活躍していける人財の裏には徹底的な人間育成がありました。
技術の上手さではなく、日常生活の習慣作りで未来の結果が変わると思わされる本でした。
これから仕事で活躍していきたい!もっと自分らしくなりたい!そう思う社会人にとても読んで頂きたい本です。
我喜屋優のプロフィール
興南高校は知ってるけど、監督なんて知らない!そう思う方も多いですよね。
実際、熱烈な高校野球ファンでもない限り、高校野球の監督を覚える人はいないです。
前置きが長くなりましたが、本の著書でもあり、興南高校野球部監督、学校理事長、校長を務める我喜屋優さんのこれまでの経歴は以下の通りです。
- 我喜屋優(がきやまさる)
- 1950年6月23日生まれ
- 興南高校出身
- 1968年の第50回大会で沖縄代表で「4番・主将」で県勢初のベスト4に貢献
- 高校卒業後、静岡県大昭和製紙富士野球部に入社
- 北海道支社へ移籍
- 1974年第45回都市対抗野球で北海道勢初の優勝に貢献
- 引退後、大昭和富士製紙北海道、ヴィンガしらおいの監督を務める
- 2007年母校の監督に就任
- 2010年市場6校目の春夏連覇と同時に沖縄県勢初の夏の優勝を達成
沖縄生まれ、自身は興南高校のOBです。
今は裕福ではなく、小さい頃から親の畑仕事や街に行ってバナナを売るなど日々の生活をやりくりしていました。
元々は陸上部として入学していた。
そこから野球部へ転部します。
2年時に顧問の先生が代わり指導がガラリと変わり、次々とレギュラーメンバーが退部する中、我喜屋さんは厳しい練習に耐え抜き自身の代では主将を務め見事、甲子園に出場することができたのです。
人間の根っこ作り
我喜屋監督といえば?と聞かれたら我喜屋さんをご存知の方はおそらく「日本一生活態度にうるさい監督」と答えます。
野球部の監督というよりもガンコ親父の表現の方があっています。
我喜屋さんは何事もまずは”身の回りんをきちんとした生活を送ること”を大事に心がけています。
今では甲子園出場、プロ野球選手を輩出するなど、名門校としての地位を築き上げました。
しかし、我喜屋さんが監督に赴任してきた頃は興南高校は今では考えられない高校でした。
- 寮の部屋は散らかり放題
- 天井にはヤモリがうろちょろ
- 床にはゴキブリの運動会
沖縄の夜型の県民性でもあるのですが、夜はダラダラと起きているため、朝はまともに起きることができず朝食を食べないそうです。
出された食事の中に嫌いな食べ物は平気で残す。
片付けもいい加減な野球部でした。
赴任してきた第一印象は「これでは野球が強くなるはずがない」と思ったのです。
自身の教訓に私生活が全てだとある我喜屋さん。
そんな野球部が我喜屋さん赴任3ヶ月目にして甲子園出場を果たすのです。
まず習慣化したのは以下の行動です。
- 5時起き
- 6時から15分間のお散歩
- 感じたことを1分間スピーチする
「日本1ゴミ拾いができる野球部」を掲げ、徹底的に人間指導をした結果が甲子園出場へ導きました。我喜屋さんが大事にしていることに「魂・知・和」があります。
- 何事も信念を持って取り組む「魂」
- たくさんの知恵や知識を身につける「知」
- 仲間の信頼や協力を得る「和」
何事も信念を持って沢山の知恵や知識を身につけ、仲間の協力を得ることです。
「ここから出たい!」という気持ちが強いほど夢に向かって進む原動力は大きく、どんなに小さなこと、簡単なことでも信念を持って取り組むことで必ず人生は好転する。
野良犬少年だった幼少期
我喜屋さんの育成方法や考え方を知ってもらう前に先にもっと我喜屋さんのことを知ってもらいたいと思います。
生まれた環境から学生時代、そして監督になった経緯までを遡りたいと思います。
生まれ〜幼少期
生まれは沖縄県の南城市の玉城という小さな村です。
当時、アメリカの統治下にあり、各地に基地や施設が多く建設されてた時代でした。
幼少期の遊びは現代のこどもは丸っきり違ってて、自然を活用しながら創意工夫をする毎日を過ごします。
両親の仕事の手伝い、バナナを売る手伝い、畑仕事、漁の手伝いなど毎日そんな生活を送っていました。
生活に不満はなく、毎日、野良犬のように遊んでは仕事の手伝いをしての繰り返しが我喜屋さんの日常でした。
唯一、興味があったのはスポーツ。アメリカ人がしているのを金網越しに見つめていました。
小さい村だったからこそ、大きい世界への憧れが人一倍大きかったのです。
高校時代
高校は陸上部として入学します。
しかし、興味を持っていた野球部に潜り込んでそのまま雑用係として野球部に入部したのが我喜屋さんの野球デビューです。
当時の監督が厳しく当時、推薦で入部した野球部員が辞めてしまったこともあり我喜屋さんは試合に出場することができます。
3年には主将を務め、甲子園ベスト4の素晴らしい成績を残しました。
社会人時代
甲子園出場した我喜屋さんは元々は東京六大学リーグへの憧れもありましたが経済的な理由もあり、高校を卒業したら自分で働き、かつ、野球をできる進路を探します。
静岡県にある、大昭和製紙富士野球部へ入部します。ここで社会人のレベルの高さに人生初の挫折を味わいます。
野球部のグランドの隣には陸上部があり、超一流選手がずらりと並んでいました。
ハンマー投げの室伏重信さん、五輪に4度、日本選手権を10連覇、アジア5大会連覇を果たし「アジアの鉄人」が同じ会社にいました。
室伏選手が200〜300キロのバーベルを持ち上げスクワットをする姿に強さに奢らず、甘えず人一倍真摯にトレーニングする姿に胸を打たれのでした。
しかし、入社4年目で「もっといい選手がいるから、もうお前はいらない」という意味合いで北海道の支社に転勤することになります。
北海道は極寒の世界。気温マイナス11度で初めてきた時に「人が住む場所じゃない!」と思ったのです。
しかし、我喜屋さんはハンデをハンデと思わずに力に変えます。
大きなハンデを知恵と工夫で跳ね飛ばす力です。
そんな極寒の中で、1人薄着で練習をしたり、雪が積もった外でも練習をしたのです。
その姿にチームの士気が上がり見事優勝。いつの間にか本社よりも強くなったのです。
ディスポート精神
沖縄から静岡へ。静岡から北海道へと様々な場所で暮らしを経験してきた我喜屋さん。
元の場所から離れて旅立ってこそ始めてわかることがあると言います。
我喜屋さんの好きな言葉に「ディスポート精神」というものがあります。
ディスポートとはスポーツの語源となった言葉でディスは離れる。ポートは港を意味します。
意味は一つの場所にとどまり、同じ環境で同じものばかり見ていないでチャンスがあれば船を出して出港させよう。港を離れる度に新しい出会い経験を積んで生まれ変わろう。
という意味です。
毎日同じ環境、同じ景色を見て生活していては囲いの中の動物同然。
さあ、あなたもディスポート精神で出航させよう。
魂
北海道に転勤になり、沖縄育ちの人が薄着で外で練習しているのに対して周りは「こんな雪の中、外で練習するのは変わったヤツだ」とばかりに思っていたのが本音だったそうだ。
我喜屋さんから言わせれ見れば、冬の練習は室内、指導者はストーブの前にいるのを見て「一生かかっても北海道は強くならない!」と思ったのです。現代人は
「お金がないから」
「強い選手がいないから」
「いい設備がないから」
と言い訳の呪縛に囚われている人が大勢います。
マイナス要素こそ大きな力になる。
信念は環境の悪さに負けない。
「野球がやりたい」という気持ちがあれば野球はできる。
雨が降るから強くなれる。雪が積もるから強くなれるのが我喜屋マインド。
呪縛に囚われているうちはいつまで経っても強くならない。
前例のないことを誰しもが反対するのが当然。改革とはこれまでの常識を全て取り払うことです。
我喜屋さんの助言で見違えるように強くなった高校が北海道にはあります。
それが駒大苫小牧です。
当時の監督だった香田監督は我喜屋さんの助言を忠実に実践。
寒さを活かす練習法に変更。側から見ても明らかに変わったと言えるくらいチームは変わり2004年には優勝を果たしたのです。
我喜屋さんはいつも生徒たちに「嫌なことから逃げてばかりいたら、いつまでも逆境のまま。逆境を友人にすれば、最後には宝になる。」とアドバイスを送っています。
興南野球の特徴
興南高校はベース上でガッツポーズをしないことで有名です。
しない理由は激しい喜びには必ず冷静さを欠くからです。
ガッツポーズの瞬間の見落としに心に隙が生まれ命取りになると言います。
我喜屋さんは「日本一伝令を送らない」ことでも有名です。
我喜屋さん曰く、試合中に伝えることはない。
グランド上で指導されても混乱するだけ。
練習の中で伝えるべきことは伝えてきたのが我喜屋流です。
我喜屋さんが生徒に教えていること
これまで話してきたようん我喜屋さんは逆境への向き合い方が全く一般人とは異なります。
「嫌なものほど噛み締めて味わえ。噛んでいるうちにだんだん甘くなる」。
僕が読んだ中で好きな言葉の一つです。
武道と並んで、しばしば野球は『野球道』と言われることがあります。
道は志や人生観を意味します。野球は他の球技や競技よりも異質なスポーツです。
他のスポーツと比べて礼儀やマナーを重んじる。ユニホームは白を基調にしたデザイン。
野球には人生によく例えられます。
野球道は強い体を育て人生を学ぼうとする姿勢だと思います。
どんなことでも最終的にはその本人の「心」が決めます。
知
我喜屋さんが生徒たちを学校から社会へ送り出すときに心がけていることとはなにか?
それは「専門バカはもういらない。社会に役立つ人材にすること」では我喜屋さんの中で社会に役立つ人材とは何か?
- 自分よりも他人のために動ける
- 小さなことでも真摯になれる
- 素直に人の話を聞く
- リーダーシップがある
すなわち、「心」を育てるということです。
知恵で誰よりも早く大人になる。
ではその大人とはどんな人を指すのか?
「計画→行動→反省→目安」ができる人のことです。
考え、実行し、反省して目標を立てられる人間のこと、それこそが社会で通用する人間です。
赴任して日本一ゴミ拾いができる野球部を掲げて活動しました。
ゴミ拾いに見返りなんてありません。
他人のために、何かすることを体現しているのがゴミ拾いです。
社会の仕組みを知り、言葉に責任を持つこと。常に全力で取り組むと強い精神力がついてきます。
何事も準備を大切にして怠らなければ自信を持って本番に臨めます。
我喜屋さんは着るものにも大事にしています。
服装がその人の印象や人格を形成していると思っているからです。
高級な服装ではなくても、清潔感のある服装できちんと着こなすことで自然と背筋が伸び、、身も心も引き締まります。
また、周りの人に不快感を与えないことも大事にしています。
服装は周りの人に対する礼儀でもあるというのが我喜屋さんの考えです。
和
信頼のパスポートは実績でしょうか?結果でしょうか?いいえ違います。
「挨拶」に他なりません。
ここまでの話でお分かりになる人もいるでしょうが、野球の細かい技術に対して殆ど言わないのが我喜屋さんの指導です。
それだけ、野球を通じて人間を育てることに長けています。
挨拶のあいは心開いて相手に言葉を投げかけること。
さつは心を開いて受け入れ相手に言葉を返すことです。
挨拶ができると自然と会話が生まれます。
その習慣で情報交換は増えていきます。
では、我喜屋さんにとって野球とは?
それは「助け合うスポーツ」です。
野球は9人いて初めて成立するスポーツです。
常にカバーリングの精神を持たないといけないのです。
次に我喜屋さんにとってリーダーシップとは?
「何事にも真摯に取り組んできた者が他人に道徳観を与え、そこに信頼感が生まれた時です。」
大切なのは自身が真摯にやってきたかどうか。
成功体験に基づき、周りの人たちかを引っ張っていくのがリーダー。
我喜屋さんにとって「高校生から大人になるとは?」自立をすることと語ります。
この世の中は自分だけでは成り立たない。大勢の人の支えがあってこそ成り立ちます。
小さなことにも感謝ができる人、支えてくれる方々への感謝を常に忘れてはいけません。
最後に「チームワークとは?」それぞれが与えられた役割をきちんとこなすこと。
奢り、慢心が出たら人は伸びない。
その時点で成長は止まる。
人だけではなく、手にする道具も仲間意識を持って大事にすることを心がけています。
人生のスコアボードで一流になるために
目標や夢がある人から「〇〇を目指します!」「一生懸命やります!」よく聞く言葉ですよね。
残念だがこれでは事を成すことはできません。
できると信じた人間だけが道を切り拓いていくからです。
目標や夢に向かって頑張るときに大事なことは、成功よりも失敗を大切にすることなんですよね。
成功しても次にやるべきことを考え、新しい挑戦をし続けることが大切です。
野球には裏表があるように人生にも表と裏があります。
野球は人生そのものを表していると言っていいでしょう。
人生において表とは目立つこと。結果や一目見たときにわかること。
ビジネスマンでいうと売り上げをいくら上げたのかに近いことですね。
目立てば目立つほど、人はその人の「裏の部分」を見たがります。
表だけ取り繕っても必ず綻びが出てきます。
誰にも見られない裏の部分をどれだけ大事にしているかが人間として試されています。
全国の高校球児へ送る我喜屋さんの言葉
日々の自分の努力が1番のお守り
日々の小さなことをおろそかにせず、根っこを育て続けることで大きな人間に育つことができます。
高校生は15歳〜18歳。人生経験が浅いひよっ子同然です。
私も高校生の頃はもう大人だ!と思っていましたが、社会に出ると高校の頃なんてちっぽけに思えるほど上京したてに出会った東京の街や人はすごいと思いました。
野球の試合は終わっても人生のスコアボードは一生続く。
仮に高校野球で後悔残る最後でも、背番号をもらえずに終わっても人生のスコアボードで確実に点を重ねて人生の勝利者になってほしい。
それが我喜屋さんが全ての高校球児に伝えたい想いです。
まとめ
いかがだったでしょか?
興南高校の強さには必ず我喜屋さんの人間育成が重んじられています。
世代が変わっても毎年、強さを発揮することができるのは高校生にも関わらず、1人の人間として根っこを育てているからに他なりません。
これ読んだあなたも、今上手くいかない。何か今とは違う人生を送りたい。
そんな想いがあるのなら、キラキラしたことには目を向けず、日々の生活習慣、誰にも見られない家の掃除やゴミ拾いから初めましょう。
根っこを育てていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも、高校野球の素晴らしさに気づいてもらい、自分の人生にプラスにしていただけたらと思います。
コメント