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【99%知らない】誰もが知らないアマチュア野球の誕生秘話

アメリカから日本に野球が伝わり140年が経っています。

今もなお、メジャーリーグ、プロ野球と話題が絶えず人気は年々右肩上がりです。そんな野球の始まりである学生野球をはじめとするアマチュア野球。どのような歴史的背景があって誕生したのかについてお話ししていきます。今回もプロ野球の誕生秘話の記事と同様、年表をもとに進めていきます。

それでは早速本題に入ります。

プロ野球誕生の記事はこちら

1872年(明治5年) 野球伝来

前回の記事の重複にもなりますがそもそもアメリカのスポーツだった野球が江戸時代に鎖国をしていた日本に伝わったのか?日本に野球が伝わったのは1872年(明治5年)です。

 現在の東京大学の前身校である開成高校の教師のホーレス・ウィルソン氏が学生たちに教えたのが始まりとされています。当時の野球は現在のようなスポーツ界を牽引するような競技ではなく球で遊ぶようなスポーツでした。なので、当時の英和訳辞書にはbaseballの訳は「球遊び」だったのです。

1877年 野球チーム誕生

1877年にアメリカから帰国した平岡煕(ひらおかひろし)氏が初めて正式な野球チーム「新橋アスレチッククラブ」を結成します。その後、平岡氏は日本の野球界に多大なる貢献をして日本野球殿堂入りの第一号者となります。

 その後、当時は球遊びだった野球というスポーツが全国に広がったのです。チームには俳句で有名な正岡子規も所属していました。

1896年 外国人チームに勝利

1896年に第一高等学校が横浜外国人チームに圧倒的勝利をあげます。その影響はとてつもなく、野球が瞬く間に全国に人気が高まることになります。

1903年 早慶戦

1903年。当時はまだプロ野球は存在しておらず学生野球、特に六大学野球は今以上に人気でした。そんな大学野球の中心でもある六大学野球。早稲田大学対慶應義塾大学が始まります。100年以上の歴史を誇る早慶戦の始まりです。現在でも行われている伝統的な野球イベントです。実は20年近く中断されていた時期もありました。

 初戦は11対9で慶應義塾が勝利を収めました。プロ野球がなかった分、当時の野球ファンは学生野球、東京六大学に熱中しました。今でも大学野球は根強いファンが球場に足を運んでいます。

1905年 早稲田大学アメリカ遠征

アメリカへ遠征の背景には当時早稲田大学の教師の安部磯雄教授が

「一高、学習院。慶応に全勝したらならば、アメリカ遠征に行きましょう。」

と約束していたのだ。そして早稲田野球部創設4年目で全勝。当時は日本人選手が大リーグで活躍するなど想像もできない時代だった。当時の野球部主将の両親は猛反対で退学を余儀なくされてしまったのである。

猛反対は当時、日本は日露戦争真っ只中。

戦争には国の総力を挙げて戦うのが常。「戦時下に野球のために外遊など以っての他」と関係者からも批判の声が上がっていたのだった。

 早稲田大学創設者である大隈重信はこれに対して「戦争は軍人がやるもの。学生には学生としてなすべきことがある」と安部氏を激励し、阿部に引率された選手12名が横浜を出港。2ヶ月間の間、アメリカ各地を周り、現地の大学チームなどと26試合を戦った。勝敗以上に科学的な野球技術を習得したことがその後の日本野球界の発展への多大な貢献となったのです。

 内外野手もミットを使用していたものをグラブに改め、足袋からスパイクへ、バント戦法、二遊間の連携プレー、スライディング、スコアブックの付け方などの今日では当然のものとなっているような野球の知恵を広く普及したのです。最新の野球技術を学び、日本野球の発展に大いに貢献したのです。

1915年 甲子園大会開幕

1915年に全国中等学校優勝野球大会が開催されました。阪神甲子園球場は開設しておらず大阪府の豊中球場で大会は開催されました。

現在、豊中球場は豊中ローズ球場と変更しております。

しかし、現在のように都道府県全49校が出場したわけではなく、出場校はわずか10校だったのです。

1917年 女子野球発足

意外と知られてはいませんが実は女子野球は昔から存在していました。マイナーだけにメディアに取り上げられることが少ないので、いつ発足したのかはつい最近のように思いがちですが実は古くから存在しています。

 初めて女子野球ができたのは愛媛県・今治高等女学校に女子野球部が作られたのが始まりです。

1918年 甲子園大会中止

第4回大会が開幕される時期に当時日本では米騒動が起きました。

また、戦争の影響で1940年〜1945年の5年間も大会中止が起きています。

1918年 軟式ボール 発明

同年、鈴鹿栄氏が軟式ボールを発明します。鈴鹿氏は京都市の小学校の教員であり、京都少年野球研究会に参加し、少年向きの野球ルールと適切なボールの研究開発を試みていた。

初めはゴムボールに靴底を貼り付けたボールを試作。その後、さまざまな試行錯誤の結果、1918年に子供のプレーに適した安全で安価な用球としてゴム製少年野球ボールを考案したのです。発明から4年後の1922年には大人用のボールも製品化され、大人の軟式野球も普及することになっった。現在も軟式野球は日本が最大の人口を持つスポーツです。その普及と発展は野球界に多大なる功績を残したのです。

1924年 選抜大会 開幕

1924年に現在の選抜高等学校野球大会が開幕したのです。元の大会は「選抜中等学校野球大会」という大会で開催されていました。現在は選抜大会も「春の甲子園」と呼ばれるように阪神甲子園球場で開催されていますが第1回大会は愛知県名古屋市の山本球場で行われました。

現在はJR東海八事球場と改名されて1990年限りで閉鎖し現在は撤去されています。開催の動機は中京圏の野球ファンの要望に応えることと夏の大会で関西地方の学校の優勝確率が高いことが関西の風土に関係しているのではないかを確認することだったのだ。

 第2回大会からは甲子園球場での開催されました。2回大会から9回大会までは前年優勝枠を設けていましたが、消滅しています。

1927年 都市対抗野球大会 開幕

1927年に都市対抗野球が開幕します。千葉ロッテの前身となる毎日オリオンズが主催していた大会だったので大会の活躍した選手や将来有望な選手を引き抜いていたのです。大会期間は7月14日〜25日で東京ドームにて開催されています。

参加するチームは会社などの法人によって設立された「企業チーム」それ以外の形態で運営されている「クラブチーム」両方が参加できる大会です。あまり認知はされていないのですが、毎年、プロ野球選手を輩出されるほどのレベルの高い野球でアマチュアNo.1のレベルと言っても過言ではないでしょう。広島で新人から守護神を任され、東京五輪でも抑えを務めた栗林良吏投手や阪神の近本選手、現在せ・リーグで首位打者を走っているDeNAの宮崎選手は社会人野球出身です。

 現在、大会は開催されているので、興味のある方や社会人野球を一度も観たことがない野球ファンには是非!一度見てもらいたいです。他にもアマチュア・社会人野球は「社会人野球日本選手権大会」やクラブチームのみ参加可能な「全日本クラブ選手権大会」が大きな大会で開催されています。

1954年 全国高等学校定時制通信制軟式野球選手権大会

1954年(昭和29年)に日本の定時制や通信制高校生を対象とした軟式野球大会が開幕します。1回大会は参加6校で行われた。

全国定時制通信制体育大会では軟式野球大会が古い歴史があります。15回大会まで通信制の学校のみが参加していたが以降、定時制の学校も参加している。現在は25校程度が出場していて、最も多かった大会は2008年の大会では45校が出場した。大会開催のきっかけは

「働きながら学ぶ定時制の生徒に青春時代の喜びと希望を与える事ができる大会にしたい」

という想いから企画され今に至る。現在は明治神宮球場を中心に毎年行われている。

「もう一つの甲子園」「二つ目の甲子園」とも呼ばれる大会である。

1956年 全国高等軟式野球選手権大会

1956年に大阪府にある藤井寺球場で15地区の代表が集まり開催された大会です。現在は全国16地区の代表により全国大会が8月末に開催されています。1981年から大阪から兵庫県に開催地を移し、現在は明石公園球場(明石トーカロ球場)をメインに大会を開催されている。

「軟式野球の甲子園」「もう一つの甲子園」と呼ばれている。

2002年 日本女子野球協会 発足

日本女子野球界が発足したのちに2009年に日本における女子プロ野球リーグが創設されました。

2005年 四国アイランドリーグ

2005年に四国に独立リーグが結成します。少しでも野球に挑戦できる野球選手の希望になる場所です。独立リーグなので、アマチュアの中では給料面では最低限。年齢制限を設けられており、残りわずかなプロ野球選手への道へ希望を望んでプレーしている選手たちの集まりです。

 試合は独立リーグに所属するチームだけではなく、プロ野球の2軍、3軍と対戦する機会がありプロ野球のスカウト、コーチ陣の目に止まるような活躍ができれば十分にプロ野球への道も拓けてきます。しかし、独立リーグから毎年プロ野球の舞台へ上がれるのはたったの5人ほど。10人にも満たないのが現状です。

2007年 ベースボール・チャレンジ・リーグ

2007年にベースボール・チャレンジリーグが結成されます。地域は新潟県・富山県・石川県・長野県の4県から成り立っています。

独立リーグに位置するこのリーグも毎年数人プロ野球へ輩出されています。しかし、球団経営困難など、年々球団が減少しているのが現状です。ベースボール・チャレンジリーグについて詳しく知りたい方はAmazon Primeで配信されいる「夢の続き ベースボール・チャレンジ・リーグ2019年の記録」で活躍の裏や球団経営の実態などを赤裸々に映している動画です。

2009年 女子野球 ワールドカップ優勝

2009年に行われた女子野球W杯では開催が日本で行われ見事優勝を飾りました。しかし、ソフトボールに比べ競技人口が少なく、大きな話題にはならなったです。

2009年 関西独立リーグ

2009年には関西独立リーグが結成されます。活動地域は大阪府・兵庫県(神戸市・明石市)和歌山県の4つの地域から構成されています。独立リーグの結成により、野球を続けたい人の進路が広がりました。しかし、独立リーグの問題は経営不振などで存続困難になり年々チーム数が減っているのが現状です。

まとめ

いかがだったでしょうか?

アマチュア野球の誕生秘話や現在に至るまで先人たちの功績を知れたのではないでしょうか?今回の内容をまとめると

  • 1872年 日本野球が伝来
  • 1877年 新橋アスレチックス結成
  • 1903年 早慶戦が始まる
  • 1905年 早稲田大アメリカ遠征
  • 1915年 甲子園開幕
  • 1917年 女子野球発足
  • 1918年 軟式ボール発明
  • 1924年 選抜大会開幕
  • 1927年 都市対抗野球開幕
  • 1954年 定時制通信制軟式大会開幕
  • 1956年 全国高校軟式野球大会開幕
  • 2002年 日本女子野球協会発足
  • 2005年 四国アイランドリーグ結成
  • 2007年 ベースボール・チャレンジ・リーグ結成
  • 2009年 関西独立リーグ結成

なかなかメディアに取り上げられることが少なく認知が低いのが現状ですが、どれも日本野球界の大事な野球です。もっと日本野球を盛り上げていくにはアマチュア野球の盛り上がりは必要不可欠です。ぜひ一度はプロ野球以外の学生野球やアマチュア野球の試合に足を運んでもらいたいです。

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