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【新常識!】青学野球部〜2部から全国制覇の裏に迫る〜

今月行われた全日本大学野球選手権。優勝した東都リーグ代表青山学院大学。メジャーで活躍している吉田正尚選手やオリックスの杉本祐太郎選手、ヤクルトの石川雅規投手OBには2000本安打を達成した井口資仁さん小久保裕紀さんなどを輩出している名門校です。大学の名門校の野球生活はどんなものなのか、他の大学との違いはどんなところにあるのかについてお伝えしていきます。

青学野球部の歴史

ここまでの青山学院大学野球部※以後青学歴史を振り返ると

  • 創部1883年
  • 東都大学野球連盟I部リーグ
  • リーグ優勝13回
  • 日本一5回

と名門大学に相応しい功績を残しています。また、先ほどお伝えした、現在プロの世界で活躍している選手や現役で功績を残し、監督を就任された元プロ野球選手など数々の名選手を輩出しています。

全日本選手権大会では6回出場のうち、優勝5回、準優勝1回と脅威の力を全国大会で示しています。

優勝までの道のり

この歴史を聞くと「優勝して当たり前のチームじゃん」と思われた方もいるかもしれません。しかし、2年前までは青学は1部リーグの一つ下のリーグ2部リーグのチームだったのです。

2部リーグでは試合は明治神宮球場ですることはできません。

2020年秋季リーグ戦で2部リーグで優勝。大学としては13季ぶりの1部昇格を果たしたのです。

それから6チームで構成されるリーグ戦での成績は5位→2位→4位→3位→1位とI部昇格しても優勝ができずに長い時期を経て17年ぶり13回目の優勝を果たして出場の切符を掴んだのです。

そのチームがなぜ、1部昇格から短い期間で全国制覇を達成できるチームにまで成長したのか?

深掘りしていきたいと思います。

全日本大学選手権決勝戦の詳細はこちらから
全日本大学選手権準優勝の詳細はこちらから

部員数

青学の他の大学と違うところはまずは『部員数』”少数精鋭”で有名でもある今年度の部員数は

  • 4年 12人
  • 3年 9人
  • 2年 11人
  • 1年 9人

たったの43人(マネージャー除く)で構成されています。

一般的な大学だと1学年に40人なんて大学も珍しくはないのです。

部員の人数は他大学に比べるとかなり違いがあります。

投手だけで20人以上いるチームの方が多いです。

ただ、実際に高校野球でもこういった少数精鋭チームは珍しくありません。

全国優勝名門校の和歌山県・智弁和歌山高校も1学年10人程度です。

僕が特待をいただいた高校にも1学年15人までと決めており、その人数だけをスカウトしていました。

少数精鋭のメリットは

  • レベルの高い選手が集まる
  • 全員が同じ練習ができる
  • 1人が練習する時間が増える
  • 下級生からでも試合に出るチャンスがある

などがあります。

人数が多いから非効率で質が悪いなどとは一切ありません。

元々、チーム運営する側のチームの理想像をもとに全国から選手をピックアップして集まるチームなので、自ずと運営側が求めるチームに出来上がっていくのです。

全国から集まるため、甲子園で活躍した選手はもちろん、地域で注目を浴びていた選手がズラリと同級生、上級生にいるので刺激はたくさん受けるでしょう。

しかし、一つのポジションに変えが何人もいないため、『故障者』が出てしまうと大変なことになるみたいです。

練習内容

青学は『選手の自主性を重んじる』練習スタイルを貫いている。

安藤監督は学校紹介でのインタビューで「練習メニューが変わることはありません。

うちがやっている練習は至ってオーソドックスな練習です。」と答えていた。

全体練習は3時間、午前中には終わる。それから各個人の練習へと移っているみたいだ。

インタビューの中で「練習の”質”は選手が作るもの」一球に対する本気、常に本番を意識した緊張感のある雰囲気で取り組んでいるのが想像できる。

2部リーグから1部昇格し優勝に至るまで監督曰く、年々上がってきたと話していた。

動画はこちらから↑

全国制覇へ導いた闘将〜安藤寧則監督〜

青学野球部を2部から1部へ。そして、17年ぶりのリーグ優勝・全国制覇まで導いた。

ここからは全国優勝できた要因や指導方法や監督になるまでの経緯について紹介していく。

経歴

安藤寧則監督

  • 1977年生まれ
  • 現役時代 投手
  • 岡山大安寺高校ー青山学院大学出身
  • 青山学院高校監督を11年間指揮を執る
  • 高校の監督を経て19年から青学監督就任
  • 大学4年時 全日本選手権優勝
  • 明治神宮大会 ベスト4入り

と野球エリート街道を歩いてきたかのように思われる安藤監督の実績。

ただ、安藤監督は大学時代はレギュラーで試合に出場することはなかった選手。

監督自身、現役時代に誇れるものは「1年生から4年生まで誰に見られても恥じなく取り組んできた。

そんな背中を示してきた。」と振り返る。

異例の大学生で高校の監督就任

青学の選手現役の時に青学の高等部の監督を当時の大学の監督の『やれ』の一言で始まったのだ。

安藤監督自身、レギュラーになれなくても、選手を貫く意思を持っていた。

だから、学生コーチなどにはならなかったのだが、監督の命令には逆らえなかった。

就任当初は前向きではなかったが、次第に本気で甲子園を目指す高校生の姿を見て自分自身が本気にさせられたという。

今では、高校野球の監督時代は「かけがえのない時間だった」と振り返る。

高校生と大学生の接し方の違い

安藤監督は選手の自主性を重んじるスタイル。選手とのコニュニケーションではどんなことを意識しているのか?それは「まずは話を聞いてやる。その上で選手の言い分を半分認めること」

20歳を超え、中身は社会人同然だ。

そんな年齢の選手に対して、自分の言い分ばかり伝えては聞いてくれない、監督への信頼もされない。

ノックは選手と監督のコミュニケーションの一つだと言われるがそれ以上に安藤監督は「話すこと」を大事にしている。

選手に伝えたいことを言語化させる。まずは選手の話を聞いてあげる。

最初から否定はしない。

ただ、全てを信頼して、100%信じるわけでもない。

聞いた上で半分は認め、そしてこちら側の意見を言う。昔のように鉄拳制裁を敷いても誰もついてくることはない。

現代の選手にあったやり方で一人一人に熱心に向き合っていることがわかる。

これが選手自らが練習の雰囲気を作り、常勝チームを築き上げてきた指導方法なのかもしれない。

インタビュー動画はこちら↑

まとめ

いかがだったでしょか?青学野球部の歴史や優勝までの道筋について知ることができたのではないかと思います。

中には「吉田選手が青学出身なんて知らなかった!」「部員が少なくて、練習が短いなんて初耳!」なんていう野球ファンの方も多いのではないでしょうか。

たくさんの選手が集まる分、指導方法や練習方法もそれだけたくさんあります。

いいところは真似して自分たちの取り組みに入れてみてもいいかもしれませんね!

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