野球の歴史と共に進化してきた野球用具。道具の発展が大いに貢献しています。野球は道具を使いこなすことで上達するスポーツに他ならないからです。単に体を大きくしても、陸上選手のように走っても上手くなるとは限りません。道具の使いかた、体の使い方が上達してこそうまくなります。
今回はのコンテンツではグローブの今に至るまでの歴史的背景を振り返りながら昔の人たちはどのような環境で野球をしていたのかについてお伝えしていきます。
素手で守って指が変形した!?
野球が始まってから、アメリカでは野手はなんと『素手』でプレーしていました。現代の野球で素手で守備についていたら考えられないですよね。問題がなかったのかというと当然問題だらけでした。野手は”突き指”に悩まされていました。当時の選手は左手が変な方向に曲がっていた、そんなことになるまでも!
素手→ミトン
突き指が毎試合のように起きてしまうため、どうにかしないといけないと考え、初めてグローブができたのは指の部分がカットされている、掌の部分だけを守るミトンでした。
これが現代のグローブ、ミットの始まりです。キャッチャー、ファーストが使うのは『ミット』。そのほかの野手が使うのは『グローブ』と言います。どちらも『手袋』という意味です。当時は厳密な用語の使い方はなかったみたいです。
グローブ着用は義務ではなかった!
初代グローブが誕生してからも、なんとグローブの着用は自由だったのです!それはなぜか?当時の野球がピッチャーが下手投げでバッターの希望するコースに投げていたからです。今のように打球速度150キロを超える打球が飛んでくることはなかった見たいです。
しかし、年が進むにつれて、横投げ、上手投げが認められました。野手は速い投球ができるようになり、野手も速い打球を捌くようになりその結果、多くの選手がグローブを着用するようになり、グローブが普及することになったのです。
日本にグローブが伝わるまで
野球が日本に伝わったのは1872年のこと。
横浜の駐留アメリカ人チームと試合を行った時にアメリカ人チームは全員グローブを着用していたのに対し日本チームはグローブを着用していたのはキャッチャーのみ。。。試合は大敗。「これでは試合に勝てないぞ」と大敗をきっかけに思うようになり日本人選手も全員が着用するようになりました。
現代のグローブになるまでをプレイバック
野球が始まった当時のグローブは掌の部分だけを保護するようなミトン。
1910年代
それから1910年代にグローブの形状は徐々に発展し親指と人差し指の間に革製の細長い部分が取り付けられたものへと変わります。
また、キャッチャーは、肉厚で真ん中が丸くくぼんだミットを使用するようになります。それによって、ピッチャーの速い球をしっかり止めることができるようになります。
20世紀
40年代
1910年のグローブに変化してから20世紀で大いに変化を遂げていきます。グローブ、ミットは指先まで覆ったものになり、5本の指をバラバラに動かすことができる「革の手袋」になります。
この形状のグローブは打球に対して、『つかむ』スタイルで捕球しようとするので当時は今以上にエラーが多かったようです。プロ野球始まった1940年代の頃の最多失策数はなんと『75』昔の試合数から計算する1試合に必ずエラーが起こるような状態です。
むしろ、エラーしない方が珍しいくらいです。現在のプロ野球の最多失策数が『20』なので、技術の発達はもちろん、グローブの発展が野手の守備力に大いに貢献していることは間違いありません。
50年代
1950年代半ばに『ウェブ』と呼ばれるパーツがグローブに組み込まれてきました。ウェブとはグローブの編みのような部分のところを指します。
ピッチャーは握りがわからないように全部を覆っていたり、外野は細長く網のような形状をしていたり、ポジションによってウェブの形状は異なります。ウェブのついたグラブは親指を除く4本の指は紐で結ばれて一枚の板のようになったのです。
それまでの打球の処理は「つかむ」だったものが打球を『すくい上げる』へと進化を遂げていったのです。キャッチャー、ファーストミットにもウェブを装備されそれまでミットは”止める”ためのものだったので右手を添えてでしかキャッチはできませんでした。
ウェブがついたことにより現代のように片手捕りが容易になり、捕球して速くスローイングができるようになりランナーの盗塁を阻止できるようになったのです。
グローブメーカー誕生
1947年に『ミズノ』が初めてポジション別のグラブを発売するようになります。
野球をした人なら誰しもが一度はミズノのグローブを
使ったことがあるのではないでしょうか?
ミズノは各ポジションの特徴を活かした機能性を重視したグラブを職人の手によって一つ一つ作られるようになります。
ミズノのグローブは日本のみならずメジャーでも好評で一躍グローブメーカーとして発展を遂げました。現在もなお、ミズノは世界一のグローブ生産メーカーです。職人の手と技によってグローブは現在に至るまで高度に発達してきたのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?グローブの歴史は野球の発展に大いに貢献していると言って良いでしょう。昔の人はグローブを買えない人は剣道のコテをはめてグローブ代わりにしていた、そんな日本人もいたのです。
形状や、革の色など、これからも様々な流行りが出てくるでしょう。データや食事など、多方面で野球の発展はしている現代。それでも昔と変わらずグローブをはじめ、道具が野球の発展に貢献して行くでしょう。
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