周りや友達が土日遊んでいる時に練習したり、休日の殆どを野球に捧げる球児たち。それは、結果が出ていようがいないが関係なく、毎日朝早くからグランドに来て練習をする。
野球が好きと始めたものの、グランドに行きたくないと思う日だってあると思います。そんな自分に負けそうな時にこそ頑張れるかで結果が変わってきます。今回はそんな球児を応援するべく、苦しい時ほど心に残る野球の名言をご紹介します。
大谷翔平
生年月日 | 1994年7月5日 |
ポジション | 投手 |
経歴 | 日本ハムファイターズーエンゼルスードジャース |
成績 | NPB:MVP、最多勝利、最優秀防御率、最優秀勝率、ベストナイン MLB:新人王、シーズンMVP、コミッショナー特別表彰、シルバースラッガー賞、ホームラン王 |
野球を始めた小学3年の時から、自信を持って、
「僕はプロ野球選手になる」
と言い続けた。
そして、一度としてプロ野球選手になれないんじゃないかと思ったことはなかった。
のアスリートには不可能と思えてしまうようなことを、本気で実現できると考えています。
自己暗示は夢を実現させるための強烈な要素だということです。
上記の言葉に続きがあり、
そうやって、周りのオトナたちの前で、胸を張って言えるコドモが、実際、プロになっているんだと思います。
他の誰かを信じるのではありません。
自分を信じるのです。
決して挫けず、試練を乗り越えられることを信じよう。
「自分はやり遂げられる」と、自分を信じよう。
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ダルビッシュ有
生年月日 | 1986年8月16日 |
ポジション | 投手 |
経歴 | 東北高校ー日本ハムーレンジャーズードジャースーカブスーパドレス |
成績 | 沢村賞、最優秀選手、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀投手 |
大事なのは「継続」です。
高いレベルでの努力を継続していく。
そして、それが結果になればアスリートとしてだけでなく、人間的にも大きく成長することができる。
自分の目標や夢を現実にして、達成していくかは気持ちも大事です。
しかし、最終的には行動に移し、周りが「イかれてる」と思うくらいの努力の積み重ねで決まります。
一朝一夕で身につけたスキルや結果は次の日には使えないものになっています。
特に、このご時世ではスマホの普及から長期的な報酬より、短期的な報酬を容易に手にすることができます。
ひとり孤独に結果が出るかもわからないことを継続できるかは難易度が高いです。
でも、成功者と呼ばれる人たちはそんな孤独状況からスタートして、結果を出して今の地位を築き上げています。
自分の当たり前のレベルが上がるほど大きく成長できる。その先に成功があることをお忘れなく。
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岡田彰布
生年月日 | 1957年11月25日 |
ポジション | 内野手、外野手 |
経歴 | 関西大学北陽高等学校ー早稲田大学ー阪神ーオリックス |
成績 | ベストナイン、ゴールデングラブ、新人王 |
いつも選手に言ってたのは、「練習の力を試合で出せ」ということ。
背伸びする必要はないし、現状の力をそのまま出せばいい。
1人ひとりが自分の力を出し合って、その結集体がチームなんやから
この言葉から岡田監督は選手に地面に足をしっかりつけ、平常心でプレーすることの大切さを説いています。
たとえ頑張らなくても平常心でベストを尽くせば、自ずと結果はついてきます。また岡田監督は次のように続けています。
力を抜いて、普段通り向き合えば、必ず結果が出る。
選手もそれを理解し、うまくメンタルコントロールができていたように見えた。これも成長なんよ。
チームとしての成長、これがオレには頼もしかった。
自分の力を出し切るというシンプルな表現を繰り返し解き続けたから、選手は力を発揮することができた。
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なぜ、弱小だった球団が監督の交代とともに上昇軍団への道を歩み始めたのか、その源泉となる監督の思考や考え方について知ることができます。
野村克也
生年月日 | 1935年6月29日 |
ポジション | 捕手 |
経歴 | 府立立峰高校ーダイエーホークス |
成績 | 首位打者、本塁打王(9回)、打点王(7回)、最多安打 |
未熟と限界の判断を誤らないこと。
「限界」という言葉を簡単に口に出して言うな結論を急ぐな
球界随一の野球理論を持っていた故人・野村克也。データを重視し、考えながら野球をするという概念を日本の野球界に持ち込んだ第一人者である一方、自身は現役時代、テスト生から血の滲むような努力で這い上がり、三冠王まで取った苦労人です。
自分ができないのは、未熟だからなのか、それとも能力の限界なのか。未熟である自分を認めるのはとても辛いことです。逆に限界だと言ってしまうことは簡単。だけど限界という言葉は、簡単に使っていいものではありません。
野村”選手”は、未熟な自分に挑戦し、成功しました。
野村”監督”は、限界を理由に諦める選手をたくさん見てきました。
未熟であるうちはいくらでも上手くなれて伸び代があるのです。限界を感じるのはずっと先でも遅くない。
松井秀喜
生年月日 | 1974年6月12日 |
ポジション | 外野手 |
経歴 | 星稜高校ー読売ジャイアンツーニューヨークヤンキース |
成績 | 首位打者、本塁打王(3回)、打点王(3回)、最高出塁率(3回) |
日常は決断の連続だ。
今、テレビを見るか、それとも素振りをするかというのも決断。
人間は楽な方に流れる。では誰が人間を流すのか?自分以外にいません。流すも流されるのも自分。自分が行動を決めるのです。上の言葉には以下の続きがあります。
「その日々の一歩の延長線上に、同じ歩幅で、けれども重い最後の一歩がある気がする」
毎日の決断で進めるのは小さな一歩です。そのペースは急に速くなることも、急に広くなることも、そうそうありません。積み重ねることが大きな目標や目的へ辿り着く唯一の道です。
前に進む決断をするのか、流される決断をするのか。時には寄り道もあるけれど、軌道修正するのも自分の決断です。道を教えてくれる人はいても、代わりに歩いてくれる人はいません。
長嶋茂雄
生年月日 | 1936年2月20日 |
ポジション | 三塁手 |
経歴 | 佐倉第一高校ー立教大学ー読売ジャイアンツ |
成績 | 首位打者(6回)、本塁打王(2回)、打点王(5回)最多出塁数(3回)、最多安打(10回) |
顔を上げている選手でなければダメ。
うつむく選手はものにならない
エラーをした時、三振した時、サインを見落とした時、打たれた時。つい下を向きたくなる時、あえて前を向いてみよう。『次はやってやる』野球にはそんな気持ちが必要です。
失敗した選手のプレーはみんなが見ています。見られているからこそ前を向く。落ち込んでいたら、つけ込まれるだけです。ネガティブな行動はネガティブな流れを呼ぶだけです。下を向いて反省するよりも、前を向いて悔しがった方がいい
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プロ野球選手やOBの方も出演されました。鳥谷敬さん、川崎宗則さん、田中将大投手、元木大介さんが出演されたドラマです!野球好き、教師の皆さんから大変好評のドラマです!
立浪和義
生年月日 | 1969年8月19日 |
ポジション | 二塁手、三塁手、遊撃手、外野手 |
経歴 | PL学園ー中日ドラゴンズ |
成績 | 新人王 |
野球の神様は見ていてくれる。
そう信じていたから私はレギュラー達よりも早くグランドに出てたっぷりと汗を流し続けた。
PL学園では春夏連覇を達成。プロ一年目からレギュラーを獲得し、積み重ねたヒットは2480本。ミスタードラゴンズとまで呼ばれた立浪さんは晩年はスタメンの機会が減り、代打専門になりました。レギュラーにとって代打専門での出場は降格でしょう。
年齢的にも”引退”がよぎる。いっそのことやめてしまおうかと並の選手なら思うでしょう。
立浪さんは立場を受け入れ、全力を出し続けました。レギュラーじゃなくても、できることがある。レギュラーじゃないから、やるべきことがある。
王貞治
生年月日 | 1940年5月20日 |
ポジション | 一塁手 |
経歴 | 早稲田実業高校ー読売ジャイアンツ |
成績 | 首位打者(5回)、本塁打王(15回)、打点王(13回)、最高出塁数(12回)、最多安打(3回) |
コーチに「ばかやろう」と言いながらやった練習が試合のここ1番で出るんだ
野球の練習はキツイことだらけです。上手くなるための練習だと分かっていても、ついつい文句が出る。
「いつ終わるんだよ」
「また走るのかよ」
「もっとイメージなの打ってくれよ」
「こんな練習、どこで役に立つんだよ」
「ふざけんな!ばかやろー!」
それでも試合でピンチを迎えた時、不思議とキツかった練習を思い出す。身体が自然と動く。残像のように蘇る。何となく余裕が出る。究極の一瞬のために地味な練習を繰り返す。「バカやろー!」の数だけ、力を出せる。
菊池涼介
生年月日 | 1990年3月11日 |
ポジション | 二塁手 |
経歴 | 武蔵工業大学第二高校ー中京学院大学ー広島カープ |
成績 | 最多安打、ゴールデングラブ(10回) |
僕は失敗を振り返らない。それはもう取り返せないもの。
だから「できる!できる!」と次のことしか考えていない
驚異的な守備範囲と見るものを魅了する守備でこれまでセカンドのイメージを一新した菊池選手。プロ野球界で1、2を争う守備の名手です。だが、いくら上手くてもエラーはあります。勝敗に関わるミスをすることだってあります。
勝敗に関わるミスをすることだってあります。そんなミスをした時も、菊池選手は決して振り返りません。 振り返ってできることなど、さほど多くない。それよりも大事なのは、次の機会でできるようになることです。悩むより前に進む。
次はできるように気持ちを入れ替えること。ネガティブな考えは挽回するチャンスさえも遠ざけるから。
ダルビッシュ有
生年月日 | 1986年8月16日 |
ポジション | 投手 |
経歴 | 東北高校ー日本ハムーレンジャーズードジャースーカブスーパドレス |
成績 | NPB:最優秀防御率(2回)、最多奪三振(3回)、最高勝率、沢村賞 MLB:最多勝利、最多奪三振 |
土、日の休みが消え、夏休みが消え、冬休みが消え、友達が遊んでいる時に練習していた。だから今の自分がある
今やメジャーでも指折りの好投手として活躍するダルビッシュ投手。だが、どんないい選手でも昔はただの野球少年だった。
休みの日も野球の練習をする。遊ぶのを我慢してバットを振る。ノックを受ける、必死で走る。
楽しい時間を犠牲にすることは、その積み重ねが人を強くする。そのさきにきっと何かがある。プロになれる選手でもそうでない選手にも、その先にある未来は平等だ。
「いつかあの練習をしたから今がある」
と胸を張って言える人になろう。
栗山英樹
生年月日 | 1961年4月26日 |
ポジション | 外野手 |
経歴 | 創価高校ー東京学芸大学ー東京ヤクルト |
成績 | ゴールデングラブ賞 |
10個エラーしてもいい、明日9個になればいい
日本ハムファイターズと日本代表の監督を務めた栗山英樹は、入団テストを受けドラフト外でプロ入りした苦労人です。野球エリートでもなければ期待されて入団したわけでもありません。
プロ生活のスタートは、他の選手に追いつくための猛練習から始まりました。控え選手がレギュラーを獲るためには、レギュラーを追い抜かなくてはいけません。当然、実力の差を比べてしまう。
でも、人と自分を比べるよりも、少しずつでも上手くなる自分を感じた方がいい。10個のエラーがいきなりゼロにならなくても、一つ一つ減らしていけば必ずゼロにできるようになっています。
イチロー
生年月日 | 1973年10月22日 |
ポジション | 外野手 |
経歴 | 愛工大名電ーオリックスーマリナーズーヤンキースーマーリンズーマリナーズ |
成績 | NPB:首位打者(7回)、打点王、盗塁王、最高出塁率(5回)最多安打(5回) MLB:首位打者(2回)、盗塁王 |
もがいてももがいてもダメなときってあると思うんですが、でも、そんな時こそ自分に重荷を課さなければならない。
真面目に練習しているのに結果が出ない。結果が出ないからもっとやる。それでも結果が出ない。そういうことは誰にでもあります。
そんな時は、もっと自分に重荷を課す。難しい目標を立てることで、越えそうで越えられない、目の前にある壁が小さいものに思える。大きな目的のための練習が、小さな目的のための練習を兼ねることもあるのです。
ケーシー・スレンゲル
生年月日 | 1890年7月30日 |
ポジション | 外野手 |
経歴 | ドジャースーパイレーツーフィリーズ |
成績 | リーグ最高出塁率 |
運なんてものはたくさん練習をやった奴のおまけなんだ。
ケーシー・ステンゲルは1930年代から約30年に渡ってメジャーリーグの監督を歴任しました。ヤンキースの監督時代にはワールドシリーズ5連覇を成し遂げるなど、名監督として野球殿堂入りも果たしています。
ステンゲルは左右の相性でオーダーを決めるなど、先進的な野球を取り入れ、厳格な采配で知られていました。サインの見落としなどがあれば、たとえホームランを打っても罰金を取ったといいます。
全てのスポーツにおいて「運」は、前もって予定に入れてはいけない要素です。試合中には「運」が流れを左右することもあります。
「運」と「偶然」は似ているようで違います。練習をやって、やってやり抜いた人間だけが「運」が時々味方をしてくれるのです。それは、「偶然」ではなく、日頃の準備の結果です。
涌井秀章
生年月日 | 1986年6月21日 |
ポジション | 投手 |
経歴 | 横浜高校ー西武ライオンズー千葉ロッテー楽天イーグルスー中日ドラゴンズ |
成績 | 最多勝利(4回)、沢村賞 |
休んでしまうと、メンバーから外されてしまいますから。我慢すればできると思います。
ペナントレース全143試合、ポストシーズンも合わせれば年間150試合以上戦うプロ野球選手にとって、故障への強さは重要な要素の一つと言えるでしょう。
故障に強いことでも知られる涌井投手は「我慢」という言葉を用いて、怪我に負けない自分を評しています。
自身が離脱すれば、その代わりとなる選手が現れ、活躍すれば復帰後の自分の居場所は失われる。自身が不在となることでチームに大きな負担を掛けて、ファンを失望されることにもなる。主力選手であれば尚更のことです。
涌井投手の言葉には長年チームを引っ張ってきた主力選手としての強い責任感が滲み出ています。少しの怪我で休まず、自分の役割を全うする。もちろん大怪我は別だが、練習ができる程度の軽い怪我なら、頑張って練習する方が「限界」もわかり、何より自分のためにもなります。
少しぐらいの痛みは我慢してみよう!
ロイ・ハラディ
生年月日 | 1977年5月14日 |
ポジション | 投手 |
経歴 | ブルージェイズーフィリーズ |
成績 | 最多勝利(2回)、サイ・ヤング賞(2回) |
毎日、フィールドに来るのが楽しみで仕方がない
トロント・ブルージェイズ時代に最多勝を獲得するも、チームが優勝争いに加われなかったロイ・ハラディ。
フィリーズに移籍すると史上20人目となるパーフェクトゲームを達成。21勝を挙げて、2度のノーヒット・ノーランを達成するなど野球をやれる喜びに満ち溢れていたのだった。
野球は楽しさは感じるほどの好結果につながります。豪速球での奪三振や弾丸ライナーのホームランはもちろん、誰もが打ちあぐねる速球派投手からポテンヒットも実は楽しい。好結果を残したバッターからは不安感や緊張感が消え、楽しさと自信が生じてきます。1点もやれない場面のナイスプレーも同じ心境でしょう。
大事なのでもう一度言います。野球は楽しむほど好結果に繋がるのです。
まとめ
今回、ご紹介した野球選手の言葉はどれも失敗しても前を向いていたり、日々の練習の積み重ねが大事だと思わされる言葉ばかり。そして何より、野球が好きでたまらない!好きで楽しんでいる選手ばかりです。
プロという野球界の第一線でプレーすることは純粋に野球を楽しむのが難しくなるようにも思いますが、それでも野球が好きで、毎日グランドに行きたくてたまらない人ばかりです。
好きは楽しむ者に敵わないという言葉があるように苦しくても自分なりに楽しみ方を見つけて頑張ってほしいと思います。
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