この記事では野球界の偉人について紹介するシリーズです。初回は鈴木一朗こと、イチローさんについてこれまでの功績や、面白エピソードなどについて話していきます。それでは早速本題に入っていきたいと思います。
プロフィール
- 本名は鈴木一朗
- 1973年10月22日生まれ
- 出身は愛知県西春日井郡豊山町
- 180センチ78キロ
- 現在はMLBのシアトル・マリナーズで会長付特別補佐兼インストラクターを務める
- 高校野球の指導を行なっている
現役を退いた今でも野球界の発展に大きな貢献をされており自ら高校野球の指導を行うなど活動を続けている。
野球経歴
ここからはイチローさんの野球経歴をさかのぼっていきます。注目してほしいのは、残してきたイチローさんの成績などではありません。なぜそこまで野球に打ち込むことができたのか、それを支えたメンタル面に気づいて欲しいです。野球に出会ったのも早く、そこから直向きな努力から天才と呼ばれるまで包み隠さず全て紹介します。
幼少期〜中学時代
イチローさんが野球と出会ったのは3歳の頃。バットを握り、それから寝る時もバットを離さない野球小僧になりました。
小学3年生になると、地元の少年野球チームに入団します。しかし、練習が日曜日しかなく、お父さんに練習を付き合ってほしいと頼み、それから、365日のうち360日はマンツーマンの特訓が始まります。
練習が終わったら、バッティングセンターでバッティング練習を行なっていました。
野球の他にも、囲碁、そろばん、塾に通っていたため、閉店間際にバッティングセンターに来ることもありました。この頃からプロに行くと親子で約束し、練習では木製バットを使って練習をしていました。
中学3年までの7年間でバッティングセンターに費やしたお金は360万円。毎月5万円は使っていた計算になります。学業でもクラストップの成績を残しており文武両道の野球少年でした。
高校時代
高校では愛知の名門・愛工大名電に進学します。入学して監督に「甲子園に行くことが目標ではありません。プロ野球選手になることが目標です!」と言い張ったのはとても有名な話ですよね。1年生からレギュラーを掴みます。
イチローさんにとって甲子園は憧れの場所ではなくプロのスカウトの目に留めるために出ておいた方がいいなあ。くらいの感覚だったといいます。
高校通算の成績は以下の異次元の数字を残しました。
- 打率.501
- 本塁打19本
- 三塁打28本
- 二塁打74本
- 盗塁131個
- 三振3個
これは公式戦のみの成績です!なんと3年生の時だけを見ると打率は7割を超えてたとか!
監督に「センター前ならいつでも打てますよ。」と豪語したのはとても有名な話です。当時はピッチャーをしていました。1年生の頃から3年生の試合に出ていたこともあり「イップス」に悩まされてしまいました。
高校卒業後、ドラフトで近鉄バッファローズに入団します。
しかし、目標の1位・契約金1億円ではなく、4位の契約金4000万円だった。
主な原因は
- 最後夏の大会で予選敗退
- スカウトは打者ではなく、投手として評価していた
- 体が細く、通用しないと示唆された
というのが大きな原因だったと言います。
プロ野球時代〜近鉄バッファローズ
プロ入りしてまもなくいきなり洗礼を浴びることになります。
イチローさんのバッティングフォームはプロの球では通用しないと当時の監督に指摘されます。だが、イチローさんは頑固としてフォームを変える気はありませんでした。
監督は”フォームを変えるか、2軍に行くか”という究極な選択を言い渡しイチローさんは2軍生活を送ることになります。2軍でイチローさんの代名詞でもある「振り子打法」を習得します。
仰木監督に変わり、1軍デビューを果たす。ファンに馴染みやすいようにと監督がカタカナで「イチロー」で登録したのだった。
数々の成績と記録
イチローさんがプロ野球で残してきた成績は数えきれないほどです。プロ野球チップスのカードのプロフィール欄には収まることができないレベルです。
大きな記録を紹介すると
- 史上初シーズン200本安打達成
- 最年少MVPを獲得
- 216打席連続無三振
- 7年連続首位打者
- 当時最高年俸の5億を手にする
とイチローさんにしか成し遂げることができなかった記録ばかりです。他にも数えきれないほどの成績はありますが話はメジャーへいきましょう。
メジャー挑戦
イチローさんがメジャー挑戦をしたのは27歳の時でした。前年からシアトル・マリナーズの練習に参加していました。7年連続首位打者を保持していたが現地メディアやプロ野球界の方々は見解は以下のようでした。
- ピッチャーは通用しても野手は通用しない。
- アメリカ大陸移動の体力消耗であの体の細さではシーズン通して体が持たない。
入団会見では「首位打者になってみたい。」とコメントすると笑われた。
その笑いを嘲笑うかのようにデビューイヤーでは
- 打率.350
- 242安打
- 56盗塁
獲得したタイトルは
- シルバースラッガー賞
- ゴールデングラブ賞
- 首位打者
- 最多安打
- 盗塁王
- 新人王
- MVP
結果で周囲の笑いや批判を見返してきた。さらにシーズン歴代最多安打の262安打を放ち、歴代最多4329安打を達成した。
国際大会での活躍
シーズンでの活躍はもちろん、イチローさんは日本代表としても大きな功績を上げています。WBCでは第一回大会でチームを牽引し、王監督を世界一の監督にしました。
一生語り継がれる伝説は第二回大会。イチローさんは極度のスランプに陥ってしまいます。しかし、韓国との決勝戦。3対3で迎えた延長10回2アウト2,3塁でイチローさんが打席に入ります。見事センター前ヒットを放ち、決勝点を決めたのです。野球ファンに語り継がれる試合です。
しかし、大会後、イチローさんは心労で胃潰瘍を発症。初の故障者リストに入ってしまいました。
イチローのココが凄い!
ここからは誰にも語り注がれなかった極秘エピソードをお話ししていきます。この話を聞くと「超一流選手はこんなに拘って取り組んでいるんだな」と驚きを隠せないことでしょう。野球少年はぜひ、何か一つでも取り入れてみてください。
試合前ルーティーン
イチローさんはメジャーでの過酷なシーズンを年間通して最大限のパフォーマンスを発揮するために徹底した自己管理をしていました。
- 球場に1番入り
- ストレッチ、マッサージに1時間
- 怪我の元となるヘッドスライディングはしない
- 腰の負担を減らすため、ロッカールームの椅子をパイプ椅子に変更
- 筋トレはせず、初動負荷トレーニング
と大きな管理はこのようになっています。誰よりも球場に入り、早くから練習をして多く体を動かしていたということです。通常、筋トレをするのが現代でも当たり前ですがしなやかな筋肉が硬く、可動域が狭くなるというデメリットも存在します。
イチローさんが行っていた初動負荷トレーニングは筋肉を大きくすることが目的ではなく、関節や筋肉のしなやかさを持たせるトレーニングです。そのため、柔軟性をキープしたまま、自分の思い通りに体を動かすことができます。
国民栄誉賞
イチローさんはこれまでに国から功績を称え、国民栄誉賞を打診されています。
しかし、2度打診がありましたが、どちらも辞退をしています。
お金の管理
野球選手といえば高級車に乗って派手な生活をして豪遊している、そんなイメージを持たれる方もいるでしょう。しかし、イチローさんはお金の管理も素晴らしいです
若い頃から現物の株の取引を行っていたり、みんながスポーツ紙を見ている中、1人だけ、一般紙の株式欄を見ていたそうです。
さらに、マリナーズの年俸全盛期の頃、報酬の一部を利子付けで預け引退後に受け取るという契約をしています。
1・2001年から3年分の報酬総額(15億4000万)のうち7億7000万と利子分を後払いで受け取る。
2・2007年からの5年分の報酬総額(99億円)については毎年5億5000万円分を5.5%の利子を乗せた金額を預けている。
ととても計画的な資産管理をされていました。野球のみならず、お金の勉強をされていた野球選手であり投資家でもあったのです。
学生時代の面白エピソード
ここまでのイチローさんの歴史を辿ると偉人に思うしかない功績を残しています。
ただ、全てが完璧ではなくこんなイチローさんからは考えられない学生時代のエピソードもあるのです。
小学時代
小学生の頃、下校中にイチローさんの20メートル前を歩いている女子生徒に向かって、道中に生えていた柿を取り女子生徒に向かって投げて見事後頭部に命中。
その時にイチローさんは『俺、プロに行ける』と確信したそうです。笑
中学時代
中学生の頃、バッティングセンターでこの子は将来必ずプロに入れると周りから言われた稲葉篤紀さんを見て『なら、俺でもなれる』と確信をしたのです。笑
高校時代
高校生の頃、グランドに夜、幽霊が出ると噂が広がり警備員がグランドを見回ると、音が聞こえ人影を見つけて本当に幽霊が出たと思いきや幽霊の正体はイチローさんが灯ひとつないグランドで素振りをしていたのです。
まとめ
イチローさんのこれまで野球界に残しきた功績について少しは知ることができたのではないでしょうか?
ここまでの成績を残してきた背景にはプロになると言えば、周りから馬鹿にされ笑われたりいつも宣言すると周りは応援はせず、笑っていたのです。
孤独を感じながらも向き合ってきた結果が今に至るのだと思います。そんな悔しさを胸に頑張り続けてきたからこそ、自分の力を疑いもせず、信じ続けてきたからこその結果だと思います。
偉人と呼ばれる人たちは狂うほどの努力をしてきて、目に見える結果を出してます。私たちが偉人から学ぶことは多いです。「凄いなあ」で終わるのではなく「自分も結果を残せるように頑張ろう!」と思って行動してこそです!
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