野球がアメリカから日本に伝わり、140年が経っています。今もなお、メジャーリーグ、日本プロ野球と話題が絶えず、人気は年々右肩上がりです。
野球少年の夢の舞台である、プロ野球はどのような歴史的背景があって誕生したのか、そして現在の12球団が誕生するまでにどのくらいの年月が経ったのかについてお話ししていきます。今回は分かりやすく年表をもとにお話ししていきます。それでは早速本題に入りましょう。
1872年(明治5年) 野球伝来
そもそも、いつアメリカのスポーツだった野球が江戸時代に鎖国をしていた日本に伝わったのか気になりますよね?野球が日本に伝わったのは1872年(明治5年)です。
現在の東京大学の前身校だった、開成高校の教師のホーレス・ウィルソン氏が学生たちに教えたのが始まりです。当時の野球は現在のようなスポーツ界を牽引するような競技ではなく球で遊ぶようなスポーツでした。なので、当時の英和訳辞書にはbaseballの訳は「球遊び」だったようだ。
1877年 野球チーム誕生
1877年にアメリカから帰国した平岡煕(ひらおかひろし)氏が最初に正式な野球チーム「新橋アスレチッククラブ」を結成します。これが日本初めての野球チームです!その後、平岡氏は日本の野球界に多大なる貢献をして日本野球殿堂入りの第一号者となります。
その後、当時玉遊びだった野球というスポーツが全国に広がったのです。この平岡煕は野球チームを結成したことが有名ですが自らが結成した野球チームの監督兼投手だったのです!平岡氏が投げるカーブは「魔球」と恐れられるほどの球を投げていました。俳句で有名な正岡子規も高校時代に野球を平岡氏から習っていたそうです。
1934年 ベーブ・ルース来日
野球チームが結成して57年。1934年11月、静岡県草薙球場に「野球の神様」ことベーブ・ルースを初めてとするメジャーリーグの選抜チームが来日。
予想は日本の大敗かと思われた試合でしたが沢村栄治投手の好投もあり惜しくも1対0で負けを喫することになりました。これをきっかけに日本でもプロチームの設立の気運が高まり、召集した全日本チームを中心に12月26日に初めてのプロ野球団が設立します。現在の巨人の前身となる”大日本東京野球倶楽部”が設立します。ここがプロ野球の歴史の始まりです。
1936年 プロ野球ペナントレース・スタート
初めての球団が創設されてからわずか2年で7球団が創設。これを機にペナントレースがスタートします。当時は7球団しか存在しなかったので、現在のようにセ・リーグ、パ・リーグに分かれてのペナントレースではありませんでした。
プロ野球のペナントレースがスタートするものの、当時の日本は戦争を行っており、戦争が激化。プロ野球をはじめとするスポーツは中断。当時、球団に所属していた若い選手らは戦争に送り出されることに。沢村栄治をはじめとする多くの野球選手が戦争で命を落としました。
1945年 東西対抗戦が復活
1945年8月に終戦をした日本。3ヶ月後には東西対抗戦が行われました。その翌年にはペナントレースが再開。当時、敗戦した日本人の心に勇気と希望を与えたのがラジオから流れるプロ野球でした。今も昔も野球というスポーツが日本人の心に勇気と希望を与えるスポーツだったのです。
1950年 リーグ分裂
1950年にリーグをセントラルリーグとパシフィックリーグの2リーグ制に変わります。この年に多くの球団が誕生します。
現在の球団ができるまで
ここまでで野球がアメリカから伝わった経緯やプロ野球創立の背景がわかったと思います。ここからは現在、セ・パ12球団がいつ創設されたのかについてお話ししていきます。伝統のある球団や何度も名前を変えて今に至る球団、創立して20年も経たない球団など様々な球団が存在しています!
2023年に新たに静岡県初のハヤテ223というウエスタンリーグに参加する球団が誕生しました。プロ野球ファンはハヤテ223の知っておくべき6つのことをご覧ください。
読売ジャイアンツ
先ほどお話にもあったように1934年に大日本東京野球倶楽部が現在の巨人の前身です。球団創設者は正力松太郎。1936年-1946年「東京巨人軍」の名前で活動していました。
1947年から現在に至るまで読売ジャイアンツの名前で活動しています。ジャイアンツは歴史と伝統がどの球団よりも長いので選手はそれ相応の振る舞いや身だしなみが求められています。
巨人でプレーして日本ハムファイターズに移籍した元プロ野球選手の岡島投手は、球団の雰囲気、選手の身だしなみの違いに驚いたそうです。
阪神タイガース
現在の阪神タイガースの前身となった球団は株式会社大阪野球倶楽部。後に「大阪タイガース」と命名します。
球団創設者は当時、大阪電鉄の社長だった外山脩造。以下の流れで球団名が変更してきました。
1936年-1940年「大阪タイガーズ」
1940-1946年「阪神」
1947年-1960年「大阪タイガース」
1961年-「阪神タイガース」
阪神は関西の方はもちろん、全国に熱狂的なファンが絶えません。野球ファンの4割が巨人と阪神ファンが占めていると言われるほどです。また、地域メディアも阪神の記事がたくさん読まれるためどうしても選手を煽てるような形になりがち。甲子園球場を本拠地としており、プロ野球発足と同時に創立した球団の一つで数々の歴史と伝統のある球団です。
中日ドラゴンズ
中日ドラゴンズもプロ野球発足と同時にできた歴史と伝統のある球団です。球団創設は読売新聞社の社長であった正力松太郎が新愛知新聞社編集主幹の田中斉に名古屋を本拠とするプロ野球球団結成の働きかけを行ったのが経緯のようだ。
以下のように球団名が変更して現在に至る
1936年-1943年「名古屋軍」
1944年-1945年「産業軍」
1946年「中部日本」
1947年-1950年「中日ドラゴンズ」
1951年-1953年「名古屋ドラゴンズ」
1954年-「中日ドラゴンズ」
横浜DeNAベイスターズ
現在のDeNAの前身となる球団が発足したのは1950年のこと。戦争が終わり、野球で地域の人に元気と勇気を与えるため当時、大洋産業のオーナーであった中部謙吉が球団を創設。
大洋産業は後にマルハニチロとなる。以下の流れで球団名が変更し現在のDeNAベイスターズになりました。
1950年-1952年「大洋ホエールズ」
1953年-1954年「大洋松竹ロビンズ」
1955年-1977年「大洋ホエールズ」
1978年-1992年「横浜大洋ホエールズ」
1993年-「横浜ベイスターズ」
そして2002年に球団譲渡を行い、DeNAが球団を引き継ぎ、現在の「横浜DeNAベイスターズ」となっています。
広島東洋カープ
12球団唯一の市民球団です。創設は1950年。戦争が終わり、広島には原爆が投下されて、市民に元気と希望を届けようと復興の象徴が広島カープです。
カープは「鯉」を指しており、広島市を流れる太田川が鯉の産地であったことや、広島城が鯉城と呼ばれていたことなどから名付けられました。時には球団経営が困難で財政難に陥るも市民の募金のおかげでなんとか乗り越え今があるのです。
球団名の変更は以下の通り
1950年-1967年「広島カープ」
1968年-「広島東洋カープ」
東京ヤクルトスワローズ
セ・リーグ最後はヤクルト。ヤクルトも戦争が終わってから創設された球団です。
当時、国鉄の総裁だった加賀山之雄が当時の不安な世相を少しでも明るくとの意図のもとに、また国鉄職員の健康的なレクリエーションとして国鉄スワローズ球団を結成したのが球団の始まりとなります。
1950年-1965年「国鉄スワローズ」
1965年「サンケイスワローズ」
1966年-1968年「サンケイアトムズ」
1969年「アトムズ」
1970年-1973年「ヤクルトアトムズ」
1974年-「ヤクルトスワローズ」
オリックスバッファローズ
お次はパ・リーグ最初にご紹介するのはパ・リーグで最も歴史のあるオリックス。オリックスはオリックスブルーウェーブが大阪近鉄バファローズを吸収合併してできた球団です。その2球団の歴史を振り返りましょう。
近鉄バファローズ
球団創設者は佐伯勇。当時の近鉄は弱小球団であったため、「地下鉄バファローズ」と揶揄された時もあった。
1950年-1958年「近鉄パールズ」
1959年-1961年「近鉄バファロー」
1962年-1998年「近鉄バファローズ」
1999年-2004年「大阪近鉄バファローズ」
2005年に球団を吸収合併。
オリックスバッファローズ
オリックスの前身となる「阪急」の創設者は小林一三。阪急は現在のパ・リーグで唯一、プロ野球発足の時から設立された球団です。
1936年-1946年「阪急」
1947年「阪急ベアーズ」
1947年-1988年「阪急ブレーブス」
1989年-1990年「オリックスブレーブス」
1991年-2004年「オリックスブルーウェーブ」
2005年「オリックスバッファローズ」
ソフトバンクホークス
阪神の細野躋や阪急の小林一三が南海の寺田甚吉社長と小原英一取締役に設立を勧め、寺田のツルの一声で決まったとされている。当時の本拠地は大阪であった。
1938年-1944年「南海」
1944年「近畿日本」
1946年-1947年「近畿グレートリング」
1947年-1988年「南海ホークス」
1989年-2005「福岡ダイエーホークス」
2005年-「ソフトバンクホークス」
日本ハムファイターズ
日本ハムファイターズは意外と球団の歴史は長いです。1936年-1940年には「翼軍」が創設。しかし、消滅してしまいます。前身となる「セネターズ」は終戦後の翌年から誕生しています。戦後にプロ野球が再開されると、戦前の東京セネタースの主軸を成した横沢兄弟が中心となって改めてセネタースが新球団として結成された。
1946年「セネターズ」
1947年「東急フライヤーズ」
1948年「急映フライヤーズ」
1949年-1953年「東急フライヤーズ」
1954年-1972年「東映フライヤーズ」
1973年「日拓ホームフライヤーズ」
1974年-「日本ハムファイターズ」
千葉ロッテマリーンズ
千葉ロッテの前身となった球団は毎日新聞社を親会社とする「毎日オリオンズ」が結成。毎日新聞社はもともと、昭和初期にセミプロ野球チーム『大阪毎日野球団』を組織していました。戦後、正力松太郎からの勧誘を契機に球団結成の気運が高まり、戦前の大阪毎日野球団を基礎に自ら主催する大会(都市対抗野球選手権)で有力選手をスカウトして球団を結成しました。
1950年-1957年「毎日オリオンズ」
1958年-1963年「毎日大峡オリオンズ」
1964年-1968年「東京オリオンズ」
1969年-1991年「ロッテオリンズ」
1992年-「千葉ロッテマリーンズ」
埼玉西武ライオンズ
1950年のリーグ分裂時、福岡県福岡市に本拠地を置き西日本鉄道(西鉄)を親会社とする西鉄クリッパースとして発足。球団創設者は西日本鉄道の初代社長でもある村上巧児。
1950年「西武クリッパーズ」
1951年-1972年「西鉄ライオンズ」
1973年-1976年「太平洋クラブライオンズ」
1977年-1978年「クラウンライターライオンズ」
1979年-「西武ライオンズ」
東北楽天ゴールデンイーグルス
楽天の創設者は現在、楽天の社長でもある三木谷浩史。
2005年にオリックスが近鉄を吸収合併したことによりパ・リーグが6球団から5球団へ。
2004年にはプロ野球で初めてストライキが起こります。結果12球団の存続と新規参入チームの参加審査を行うという経営者側の譲歩案を選手会が手にしたのです。
新規参入に名乗りを上げたのが株式会社ライブドアと株式会社楽天でした。プロ野球オーナー会議で正式な参入の了承を得たのは楽天でした。プロ野球史50年ぶりの新球団が東北・仙台の地に誕生したのです。
まとめ
現在の12球団が誕生するまで各球団、歴史と伝統があります。楽天のように創立して間もない球団もあればプロ野球発足と同時に存在し、今もなお球団経営を行なっている球団。歴史と伝統のある球団であり、これまでの野球史を作ってきた球団に他なりません。
時代が変わり、NPBも球団が増えたり、消滅したりと今後の動向が気になりますね。一、野球ファンとして現在の球団の存続はもちろん、メジャー級の規模で日本にも野球が発展していけたらもっと活気に湧くでしょう。
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