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【斎藤佑樹】世代を代表するハンカチ王子によるスペシャルトークショー@さいたま

5月23日さいたま市さいたま文化センターで行われた斎藤佑樹さんと森士さんとのスペシャルトークショーに足を運びました。

あっという間で90分とは思えないボリュームでした。

野球をやっている人はもちもん、社会人の方、人財育成する先生、指導者にもタメになる話でした。

そんなトークショーのテーマに沿ってご紹介します。

斎藤佑樹のプロフィール

まずは簡単に斎藤佑樹さんのこれまでの野球経歴等を踏まえて斎藤佑樹とはどんな人なのかについてご紹介します。

名前斎藤佑樹
出身群馬県太田市
生年月日1998年6月6日
経歴早稲田実業高校ー早稲田大学ー日本ハムファイターズ
現在株式会社斎藤佑樹 代表取締役
  • 高校3年の夏「ハンカチ王子」として世間を騒がせ夏の全国大会優勝
  • 早稲田大学に入学し「アマチュアNo.右腕」として注目を浴びる
  • 2010年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団
  • プロ2年目から開幕投手を務めている
  • 昨シーズンに現役引退

高校時代の雰囲気と変わらずとても爽やかな好青年のイメージそのまま。

森士のプロフィール

名前森士︎(もりおさむ)
経歴上尾高校ー東洋大学
野球経歴27歳で浦和学院野球部に就任
成績春夏通じて22度の甲子園出場 プロ野球に19名の選手を輩出
現在浦和学院副校長
ファイヤーレッズメディカルスポーツクラブ理事長

斎藤佑樹と森士の出会い

お互い、高校時代から知ってはいたものの接点はなかったが斎藤佑樹が大学3年の頃、当時使用していたメーカーの販売をしていた森士の息子:森大(現:浦和学院野球部監督)から「ぜひ父とお会いしてください」と伝えそこから初めて対面した。

それから1年に一度はお会いし、語り合う仲になった。

斎藤佑樹の引退から独立。森士の退任と新たなステージどちらも同じタイミングということもあり、お互いに何かこれもご縁があると思うと運命を感じている。

挑戦していること・逆境の乗り越え方

斎藤佑樹

「アスリートのセカンドキャリア」

が現代注目視されているなか斎藤佑樹は自分のキャリアについてどう考えていたのか。

斎藤佑樹は2021年に引退し、「株式会社斎藤佑樹」を設立しました。

会社の名前に自分の名前を入れたことについて自分の名前で勝負がしたい。前面に出していきたいという想いから決めた。周りからは

「ナルシストだね」

などと批判の声を浴びたようだ。彼自身には強い想いがあって、野球の外の世界で1人で生きている、立派に独立しているんだと証明したいと野球に恩返しがしたいという想いだ。

会社の名前に自分の名前が入っていることでたくさんの方に認知をされ、結果的には企業や行政と手をくみ会社として事業を行うことができたと語った。

森士

森士が現在挑戦していることは自身が理事長を務めるスポーツクラブの運営だ。

浦和学院の施設を活用して充実した環境を整えている。

「本物との触れ合いから教育を行う」

という想いのもとスポーツ活動を広めたいと語った。

監督を務めていた時に自身自ら大学院に通い、スポーツや医療について学び、かつ、学ぶ姿勢を生徒や関わる関係者に見せていきたかったと語る。

 大学院で野球以外のスポーツや医療と関わることで「野球界で常識とされていることは他のスポーツでは非常識」と痛感した。

分断されている野球界に垣根を超えた指導者が学べる場所を作りたいと語った。

怪我との向き合い方

斎藤佑樹

斎藤佑樹はプロ入り後怪我で苦しむ日々が長かったと語る。

チームの戦力になれないもどかしさ、葛藤があったようだ。それでも「野球を続けられたことに感謝しかありません」と切実に語った。

 怪我した選手はリハビリしかできない、毎日同じタスクをこなすだけでボールも触れない日々。

そんな時に彼はいつも自分に発破をかけてやることを心がけていたという。

 これは怪我したからこそ彼が手に入れたマインドである。

これは仕事でも活かされており、第一印象はよく、表情はいつも爽やかな印象を与えていると語る。

また、現役当時は「ハンカチ王子」と世間から注目を浴びたことにも「野球選手として自分を見てほしい」と思っていたようだ。

「僕は”言霊”はあると信じている。
夢をみんなに宣言してきた。
でも、現代はSNSの普及でいつも誰かに監視され、言ったことに対して批判される時代。

僕は若い世代が自分の夢や想いを堂々と語れない世界は無くしたい。
夢を応援し、夢に対して一緒に策を考える人になりたい、僕はそんな人を大切にしたい。」

と伝えた。

森士の指導論

甲子園出場22度を誇る名将の指導論、選手を育成する時に大事にしていたことについて語った。

「選手を甲子園に連れて行くこと、勝たせることが監督の仕事だ」と当時を振り返り語った。

そんな中で大事にしていたことは3つ。

  • 「迷いは見せない」
  • 「才能を引き出すこと」
  • 「人間形成をしていくこと」

「野球に限らず、社会に生きていく上でポジティブや気持ちは大事だ。
それを僕は野球を通じて形成していく指導を心がけていた。
指導者は社会に出てから一生の飢えを凌ぐことを教えていくことこそが最終目標。
野球という狭い世界で生きてきた球児を野球だけしかできない選手でなく、
野球を通じて生き抜く術を教えてきた。」

と自身の考え方を伝えた。

ヌートバーを推薦したって本当?

WBCで代表選手の招集で囁かれた斎藤佑樹がラーズ・ヌートバーを栗山監督に推薦した話について。

お互いの接点は斎藤佑樹が高校3年生の日本代表選手でアメリカへ遠征した時のこと。

斎藤佑樹のチームメイトのホームステイ先がヌートバーの家だったという。

まだ幼いころのヌートバーは遠征先の試合で自らバットボーイを率先してやっていたことが彼はとても印象的だったという。

バットボーイとはバッターが打って打席においたバットをベンチに運ぶ仕事のことだ。

斎藤自身はヌートバーのプレーを見たことはなかったが栗山監督が「日系外国人」の選出することを明言したときに斎藤自らが当時のヌートバーをLINEで紹介したと言った。

WBCで現地取材した時に

「コロナ禍の時はマイナーリーグで野球ができなくなってしまい、生計を立てるためにアルバイト等で生活していた。
だから誰よりも野球ができる喜び、感謝がある。日本代表のユニホームを着てプレーができることに最高の幸せを感じる」

とインタビューに答えてくれた。

野球を通じて培ってきたこと

斎藤佑樹

野球を通じて培ってきたことについて斎藤佑樹は「全員が同じ目標を持って同じ経験ができたこと」と語った。

それは今の会社経営でも大きく活かされていると語った。

「ゴールを目指す上で必ず”コミュニケーション”が必要になる。
他人の気持ちがわかることは僕の強みでもあります。
人と協力するときに一体感が力を生む。
怪我をして試合に出れない時期が長かったからこそ、
支えてくれる人の気持ちがわかる。
怪我をしなかったら今の自分はいない」

と言い切った。

森士も現役時代は高校、大学ともに背番号をつけて一度もプレーをしたことがない。

現役時代は怪我に苦しみ、手術まで行っている。

そんな彼は将来、監督をやりたいという意志もあったため監督から学生コーチの誘いもあったものの、頑固として断りを入れた。

「最後まで現役を貫いた」ことが彼自身の中で大きい。

「最後まで現役としてプレーをしたことが誇りだ。断りを入れた時に監督からは”頑固さ”考えがブレないことが大事だと褒めてもらったんです。」

と当時を振り返った。

栗山監督はリハビリ中の斎藤に「やり切ると引退した時に見てくれた人が味方になるよ」と言葉をもらったそうだ。斎藤自身も社員に求めているものは「最後までやり切った経験がある人」だ。

森士

「結局は結果につながらないことや野球に関係のない無駄なことが大事なんです。
日の当たる結果を出す出さないではなく、やるかやらないかが大事」

特にプロ野球選手は個人事業主であり、自分のプレーがチームのためになる、チームのためにやっていることが自分に返ってくるビジネスです。

森は大学時代、レギュラーのサポートで毎日バッティングピッチャーや雑用を率先して取り組んでいたという。

大学時には東洋大初の全国大会優勝をした。

 今では当時レギュラーだった選手が森のサポートをしてくれたり、あの時の頑張りが報われたと語った。

斎藤も「一、野球人として、野球をやったことで社会にこれだけ還元されるんだと証明していきたい」と想いを語った。

文武両道について

〜斎藤佑樹〜

斎藤佑樹は勉強は得意ではなかったが勉強はおろそかにしなかったという。それは親からの教えがあるという。

「大好きな野球をやりたいなら好きじゃないこと苦手なこともちゃんとやりなさい。」

と教わった。それは今の経営にも生きていると語ってくれた。

「やりたい仕事がある。やりたいことのために面倒なことをたくさんしないといけなくていろんな方に挨拶に行ったり、苦手なことも自分でやらないといけない。
でも高校時代に野球と勉強を嫌でもやってた時を振り返って、親の言ってことはこういうことだったんだな」

と当時を振り返ってくれた。

〜森士〜

森士も監督時代は選手にテスト期間は時間を設けて選手全員で勉強する時間を設けていたみたいだ。

「野球だけに特化した教育には偏りがあるんです。
なんのために勉強するのかなんてその時は分からなくてもいい。」

先日、弁護士になった教え子から手紙が来たその内容には「高校時代のあの理不尽なことがいきました。高校の頃に比べたら司法試験はさほど苦ではなかったです。」

と書いてあったそうだ。自身も大学院に通っていたこともあり彼は

「学習することで人生は豊かに面白くなる。学んだことが武器になる。
それは人生の道を拓くことができる」

と語った。

終わりに

トークショーの終わりに森は学びことへの大事さを伝えた。

「学び続けること。
学びを通じて周りの人を幸せにすることができる。
特に若い方はいろんな人と出会い、本を読み、夢を実現していってほしい。」

と会場に来た方に伝えた。最後に彼が気に入っている言葉を伝えトークショーは幕を閉じた。

難しいことは優しく。
優しいことは深く。
深いことは面白く。
面白いことは真面目に。
真面目なことは愉快に。
愉快なことはあくまでも愉快に

まとめ

斎藤佑樹と森士のトークショーいかがだったでしょうか。

野球に対する考え方や野球をする上で大事にされていた思いを知ることができたと私は思います。

野球界の常識は非常識、という言葉は印象に残りました。

皆さんも常に視野を広げて多様な価値観に触れていくことが大事だと思います。

野球に限らず大人になっても学ぶこと、一度決めたことをやり抜く力はいつどんな時も大事だと痛感しました。

私もこれからも常にアンテナをはり、現地に足を運んで話を聞いたり、選手のプレーを見て話を聞いていきたいと思います。

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